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宗教改革4 ~テューダー朝ヘンリ8世の国王至上法(首長令)とイギリス国教会の成立~
著作名: エンリケ航海王子
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国王の離婚問題と国教会の成立

ヘンリ8世とキャサリンの間には後のメアリ1世となる女の子がいましたが、彼は男児の誕生を切望していたので、男児ができないキャサリンと別れ、その侍女アン=ブーリンとの結婚を望みました。しかし、当時のカトリックでは離婚が認められていませんでした。

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(アン=ブーリン像)

ヘンリ8世はもともと、時の教皇レオ10世から「信仰擁護者」という称号を与えられたほど熱心なカトリック信者でした。

しかし、離婚を強行した結果、ヘンリ8世はローマ=カトリックから破門されてしまいます。

破門を受けたヘンリ8世は、1534年、国王至上法(首長法)を発布し、ローマ=カトリックから分離した独自のイギリス国教会を成立させました。

この時、ローマ=カトリックからの独立に反対したユートピアの著者であり大法官のトマス=モアらは処刑され、また、反対した修道院の土地を没収し、それらを最終的にジェントリ(地主)に分け与えました。その結果、広大な土地を用いた毛織物生産がイギリスの一大産業になっていきます。

さて、ヘンリ8世はアン=ブーリンとの間にも男児は恵まれず、後のエリザベス1世となる女児しか生まれませんでした。

そのため、ヘンリ8世はアン=ブーリンを様々な罪で告訴し、処刑してしまします。その後、またまたアン=ブーリンの侍女だったジェーン=シーモアと結婚し、ようやくエドワード6世となる男児が誕生しました。(後に王妃の死別などもあり、ヘンリ8世は生涯で6人の后を娶りました。)

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(ジェーン=シーモア像)




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