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五胡とは わかりやすい世界史用語523
著作名: ピアソラ
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五胡とは

五胡(ごこ)とは、中国の歴史において、東漢末期から西晋時代にかけて北方に移住し、その後、西晋を滅ぼして自らの王国を築いた五つの非漢民族を指します。これらの民族は、匈奴(きょうど)、羯(けつ)、鮮卑(せんぴ)、氐(てい)、羌(きょう)です。

五胡の起源と移住

五胡の起源は多様であり、それぞれ異なる地域から中国北部に移住してきました。匈奴と鮮卑は北方のステップ地帯から来た遊牧民であり、匈奴の民族的な起源は不明ですが、鮮卑はモンゴル系であったとされています。羯は牧畜を主とする民族で、匈奴の一派であった可能性があります。氐と羌は中国西部の高地から来た民族で、氐は農耕を主とし、羌は主に牧畜を行っていました。



五胡の中国北部への影響

五胡は東漢末期から西晋時代にかけて中国北部に移住し、次第にその影響力を強めていきました。特に西晋の末期には、五胡の勢力が増大し、最終的には西晋を滅ぼすこととなりました。この時期は「五胡十六国時代」とも呼ばれ、多くの非漢民族が中国北部に独立した王国を築きました。

五胡の各民族の特徴

匈奴: 匈奴は遊牧民であり、戦闘力が高く、騎馬戦術に優れていました。彼らは中国北部に広がり、しばしば漢民族と衝突しました。
羯: 羯は匈奴の一派であり、牧畜を主とする民族でした。彼らもまた戦闘力が高く、中国北部に勢力を広げました。
鮮卑: 鮮卑はモンゴル系の遊牧民であり、匈奴と同様に騎馬戦術に優れていました。彼らは後に北魏を建国し、中国北部を支配しました。
氐: 氐は農耕を主とする民族であり、中国西部の高地から移住してきました。彼らは後に前秦を建国し、一時的に中国北部を統一しました。
羌: 羌は牧畜を主とする民族であり、中国西部の高地から移住してきました。彼らはしばしば漢民族と衝突し、その勢力を広げました。

五胡の歴史的評価

五胡の時代は、中国の歴史において非常に重要な時期であり、多くの学者によって研究されています。五胡の移住と乱は、中国の民族構成に大きな影響を与え、後の中国の歴史における民族間の関係に深い影響を及ぼしました。

五胡の時代は、漢民族と非漢民族の間の複雑な関係を象徴しており、これらの民族がどのようにして中国の歴史に影響を与えたかを理解するための重要な鍵となります。五胡の乱は、中国の歴史における大きな転換点となったほか、五胡の歴史は非常に複雑であり、多くの要素が絡み合っています。

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