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ヒクソスとは 世界史用語146
著作名: ピアソラ
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ヒクソスとは

ヒクソスとは、古代エジプトの歴史において、第二中間期(紀元前1782年頃~紀元前1570年頃)にエジプトの下部と中部を支配した外来の王朝(第15王朝)のことです。ヒクソスという名前は、エジプト語で「外国の支配者」(heqa-khasut)を意味し、紀元前3世紀にエジプトの歴史を書いたギリシア人のマネトが用いた用語です。マネトはヒクソスを侵略者や圧制者として描きましたが、現代のエジプト学ではこの解釈は疑わしいとされています。ヒクソスはむしろ、紀元前18世紀からエジプトのナイルデルタに移住してきたパレスチナ系の人々の一部であり、紀元前17世紀にエジプトの支配が弱体化した際に独立したと考えられています。ヒクソスはエジプト史上初めて外国人によって統治された時代を象徴しています。



ヒクソスの王たちは、エジプトの東部にあるアヴァリス(現在のタル・アル=ダバア)という都市を拠点としていました。彼らはエジプトの風習とパレスチナやカナンの風習を混合しており、エジプトに馬や戦車、鎌状の剣や複合弓などの新しい技術をもたらしたとされています。しかし、これらの技術がヒクソスによって導入されたかどうかは議論があります。ヒクソスの主な神は、エジプトの嵐と砂漠の神セトであり、彼らはセトをシリアの嵐の神ハダドと同一視していました。

ヒクソスがエジプトの下部に権力を握った経緯は不明な点が多いです。紀元前17世紀には、エジプトの下部には第13王朝と第14王朝が並立していましたが、やがて衰退して消滅しました。その後、ヒクソスの王たちは第15王朝を開き、エジプトの下部と中部を支配しました。ヒクソスの王の名前や順序は確定していませんが、現在知られているのは以下の6人です。

サルイテス(Salitis):ヒクソスの最初の王。アヴァリスを建設し、エジプトの下部と中部を征服したとされる。
サクラブ(Sakir-Har):サルイテスの後継者。エジプトの神々に捧げられた石碑が残っている。
カン(Khyan):サクラブの後継者。エジプトの王の称号を用いており、エジプトの他の地域やパレスチナ、クレタ島などと交流があったと考えられる。
アペピ(Apepi):カンの後継者。ヒクソスの最盛期の王であり、エジプトの上部にあるテーベと対立した。セトを崇拝し、他の神々を排除しようとしたとされる。
カムディ(Khamudi):アペピの後継者。ヒクソスの最後の王であり、テーベの王アフモース1世によってアヴァリスを攻略され、ヒクソスの支配は終わったとされる。
アナティフ(Anat-Har):ヒクソスの王とされるが、確実な証拠はない。カンとアペピの間にいたとする説もある。
ヒクソスの支配は、エジプトの新王国(紀元前1550年頃~紀元前1069年頃)の成立に影響を与えました。新王国の王たちは、ヒクソスによってもたらされた技術や戦略を利用して、エジプトの領土を拡大し、西アジアやアフリカに進出しました。また、ヒクソスの侵入によって、エジプト人は自分たちの文化やアイデンティティを再確認し、エジプトの神々への信仰を強めました。ヒクソスはエジプトの歴史において重要な役割を果たした外来の王朝であると言えます。

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