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メソポタミアとは 世界史用語93
著作名: ピアソラ
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メソポタミア

メソポタミアとは、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域のことで、現在のイラクの大部分やシリア、トルコ、イランの一部にあたります。この地域は、世界最古の文明が発展した場所として知られており、シュメール、アッカド、バビロニア、アッシリア、ペルシャなどの古代王国が栄えました。メソポタミアの文明は、文字、車輪、農業、数学、天文学などの重要な発明や発展に貢献しました。メソポタミアは、紀元前7世紀にアラブ人に征服されるまで、さまざまな支配者や民族によって統治されました。

メソポタミアの歴史は、先史時代からアラブ征服までの期間に分けられます。先史時代には、紀元前1万年頃から農耕が始まり、紀元前4千年紀には都市国家が形成されました。シュメール人は、メソポタミア最古の民族とされ、楔形文字や神話、法典、建築などの文化を築きました。紀元前24世紀には、アッカド人の王サルゴンがシュメールを征服し、メソポタミア初の帝国を建設しました。その後、バビロニア第一王朝が興り、ハンムラビ王が有名な法典を制定しました。紀元前18世紀には、ヒッタイトやカッシートなどの外来勢力がメソポタミアに侵入し、バビロニアの勢力を弱めました。

その後アッシリアがメソポタミアの北部に強大な王国を築きました。アッシリアは、鉄器や戦車、騎兵などの軍事技術を用いて、メソポタミアやシリア、エジプトなどの周辺地域を征服しました。アッシリアは、ニネヴェやアッシュールなどの都市を建設し、文学や芸術、科学などの文化を発展させました。しかし、紀元前7世紀には、バビロニアやメディアなどの反乱によってアッシリアは滅亡しました。

その後、バビロニア第二王朝が興り、ネブカドネザル2世が新バビロン帝国を建設しました。ネブカドネザル2世は、エジプトやユダヤなどの地域を支配し、バビロンの都市を美しく飾りました。バビロンの空中庭園やバビロンの塔などの建造物は、世界の七不思議の一つとされました。しかし、紀元前538年には、ペルシャのキュロス2世によってバビロンは陥落しました。

メソポタミアは、ペルシャのアケメネス朝の一部となり、その後、アレクサンドロス大王によって征服されました。アレクサンドロスの死後は、セレウコス朝がメソポタミアを支配し、ギリシア文化が広まりました。紀元前2世紀には、パルティアがメソポタミアを支配し、ローマとの争いが起こりました。紀元3世紀には、サーサーン朝がメソポタミアを支配し、ゾロアスター教が広まりました。紀元7世紀には、イスラム教のアラブ人がメソポタミアを征服し、メソポタミアの古代文明は終わりを迎えました。

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