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高校古文『さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな』わかりやすい現代語訳と品詞分解
著作名: 走るメロス
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はじめに

このテキストでは、平家物語の中の「忠度の都落ち」や千載集などに収録されている歌「さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな」の現代語訳・口語訳と解説、そして品詞分解をしています。

原文

(※1)さざなみや(※2)志賀の都はあれにしを昔(※3)ながらの山桜かな

ひらがなでの読み方

さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらのやまざくらかな

現代語訳

志賀の都は荒れてしまいましたが、長等山の山桜だけは昔ながらに美しく咲いていることですよ

解説

平家物語によるとこの歌は、平忠度が三位俊成卿(藤原俊成)に託した巻物の中に詠まれていたものです。忠度は藤原俊成に歌を師事していました。

忠度は、勅撰和歌集に自分の歌が採用されることを夢見ていました。しかし平家の隆盛に限りが見え、忠度も都をおわれることになりました。そこで忠度は歌の師であった藤原俊成に、自身の歌を百首余り記した巻物を託すことにしたのです。「この巻物に記した歌の中で勅撰和歌集にのせるのにふさわしいものがあればぜひ採用してほしい」そう願いをこめ、巻物を託しました。

世の動乱が収まったあと、藤原俊成は千載集の編集に携わることになりました。忠度から託された巻物の中には、千載集にのせるのにふさわしい歌が多くあったのですが、忠度は天皇の咎めを受けた人間ということで、名前を出さずに「詠み人知らず」として一首だけ、この歌を採用することにしたのです。

単語

(※1)さざなみや「ささなみや」とも。「滋賀に係る枕詞
(※2)志賀現在の琵琶湖西南の地名


文法

掛詞

(※3)ながら

「昔ながらの〜」を意味する接続助詞「ながら」と名詞「長等山(ながらやま)」の「ながら」を掛けたもの。

品詞分解

※名詞は省略しています。

さざなみや枕詞
志賀
格助詞
係助詞
あれラ行下二段活用「ある」の連用形
完了の助動詞「ぬ」の連用形
過去の助動詞「き」の連体形
接続助詞
ながら掛詞(接続助詞/名詞)
格助詞
山桜
かな詠嘆の終助詞


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