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枕草子 原文全集「檳榔毛は/説経の講師は」
著作名: 古典愛好家
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檳榔毛は

檳榔毛(びらうげ)は、のどかにやりたる。いそぎたるはわろく見ゆ。

網代は走らせたる。人の門の前などよりわたりたるを、ふと見やる程もなく過ぎて、ともの人ばかり走るを、「誰ならむ」と思ふこそ、をかしけれ。

ゆるゆると久しくゆくは、いとわろし。

説経の講師は

説経の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことの尊さも覚ゆれ。ひが目しつればふと忘るるに、にくげなるは、罪や得らむとおぼゆ。このことはとどむべし。すこし年などのよろしき程は、かやうの罪得がたのことはかき出でけめ、今は罪いとおそろし。

また、『尊き事、道心おほかり』とて、説経すといふ所ごとに、いきゐたるこそ、なをこの罪の心には、いとさしもあらでと見ゆれ。

蔵人おりたる人、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは内裏(うち)わたりなどには影も見えざりける。いまはさしもあらざめる。蔵人五位とて、それをしもぞいそがしうつかへど、なほ名残つれづれにて、心ひとつは暇(いとま)ある心地すべかめれば、さやうの所にぞ一たび 二たびも聞きそめつれば、常にまうでまほしうなりて、夏などのいと暑きにも、かたびらいとあざやかにて、薄二藍青鈍(うすふたあゐあをにび)の指貫(さしぬき)など、ふみ散らしてゐためり。烏帽子に物忌つけたるは、さるべき日なれど、功徳のかたにはさはらずと見えんとにや。

その事する聖と物語し、車たつることなどをさへぞ見入れ、事につゐたる気色なる。ひさしうあはざりつる人のまうであひたる、めづらしがりて、ゐ寄りものいひ、うなづき、をかしき事など語りいでて、扇広うひろげて口にあててわらひ、よく装束したる数珠かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のあしよしほめそしり、何がしにて其人のせし八講、経供養、とありしことかかりしこと、いひくらべゐたる程に、この説経の事は聞きも入れず。何かは、常に聞く事なれば、耳馴(な)れてめづらしうもあらぬにこそは。

さはあらで、講師ゐてしばしある程に、前駆(さき)少し追はする車とどめておるる人、蝉の羽よりも軽げなる直衣、指貫、生絹(すずし)の単衣などきたるも、狩衣(狩衣)のすがたなるも、さやうにて、若う細やかなる三四人ばかり、侍のもの、またさばかりして入れば、はじめゐたる人々も少しうちみじろぎくつろい、高座のもとちかき柱もとにすゑつれば、かすかに数珠おしもみなどして聞きゐたるを、講師も、はえばえしく覚ゆるなるべし、いかでかたりつたふばかりと説き出たなり。

聴聞すなど、たふれ騒ぎぬかづく程にもなくて、よき程に立ち出づとて、車どもの方など見おこせて、我どちいふことも、何事ならむと覚ゆ。見しりたる人は、をかしとおもふ。見しらぬは、誰ならむ、それにや、など思ひやり目をつけて見送らるるこそ、をかしけれ。

「そこに説経しつ、八講しけり」など人のいひつたふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、定まりていはれたる、あまりなり。などかは無下にさしのぞかではあらむ。あやしからむ女だにいみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつかたは、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束(つぼせうぞく)などして、なまめき、化粧じてこそはあめりしか。それも物詣でなどをぞせし。説経などにはことに多く聞こえざりき。この頃、その折さし出でけむ人、命長くて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。






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