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土佐日記 原文全集「渚の院」 |
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著作名:
古典愛好家
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九日。心許なさに、明けぬから、船を曳きつつ上れども、川の水なければ、ゐざりにのみぞゐざる。
この間に、和田の泊のあかれの所といふ所あり。米、魚など乞へば、行ひつ。
かくて、船曳き上るに、渚の院といふ所を見つつ行く。その院、昔を思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。後方(しりへ)なる岡には、松の木どもあり。中の庭には、梅の花咲けり。ここに、人々のいはく、
「これ、昔、名高く聞えたる所なり。故惟喬(これちか)の親王の御供に、故在原の業平の中将の、
世の中に絶へて桜のなかざらば 春の心はのどけからまし
といふ歌詠める所なりけり」
世の中に絶へて桜のなかざらば 春の心はのどけからまし
といふ歌詠める所なりけり」
今、今日ある人、所に似たる歌詠めり。
千代経たる松にはあれど古の 声の寒さはかはらざりけり
また、ある人の詠める。
君恋ひて世を経るやどの梅の花昔の香にぞなほ匂ひける
と言ひつつぞ、都の近づくをよろこびつつ上る。
かく上る人々の中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき、いたれりし国にてぞ、子生めるものどもありあへる。人みな、船のとまる所に、子を抱きつつ降り乗りす。これを見て、昔の子の母、悲しさに堪へずして、
なかりしもありつつかへる人の子を ありしもなくて来るが悲しき
と言ひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも歌も、このむとてあるにもあらざるべし。唐土もここも、思ふことに堪へぬ時のわざとか。
今宵、鵜殿といふ所に泊まる。
十日。さはることありて、上らず。
十一日。雨いささかに降りて、止みぬ。
かくてさし上るに、東の方に、山の横ほれるを見て人に問へば、
「八幡の宮」
と言ふ。これを聞きてよろこびて、人々拝みたてまつる。
山崎の橋見ゆ。うれしきこと限りなし。ここに相応寺のほとりに、しばし船をとどめて、とかく定むることあり。この寺の岸ほとりに、柳多くあり。ある人、この柳の影の、川の底に映れるを見て詠める歌、
さざれ波よする文をば青柳の影の糸して織るかとぞ見る
十二日、山崎に泊まれり。
十三日、なほ山崎に。
十四日。雨降る。今日、車、京へとりにやる。
十五日。今日、車ゐて来たり。船のむつかしさに、船より人の家にうつる。
この人の家、よろこべるやうにてあるじしたり。この主人の、またあるじのよきを見るに、うたて思ほゆ。いろいろに返り事す。家の出で入り、にくげならず、ゐややかなり。
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