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世界遺産マチュピチュとインカ帝国! 失われた南北アメリカの古代文明
著作名: エンリケ航海王子
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はじめに

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世界遺産中でも人気の高いマチュピチュ。この遺跡は、インカというかつて南米に存在した巨大帝国のものでした。このテキストでは、古代から南北アメリカの古代文明について解説します。

南北アメリカの先住民

南北アメリカには、遥か太古の氷河時代に、違う大陸からモンゴロイド系の人々が地続きを伝って移り住むようになりました。

この人々は、後にヨーロッパ人によってインディオやインディアンと呼ばれるようになります。

この呼名は、大航海時代にアメリカ大陸をインドだと勘違いした当時のヨーロッパ人が、インドの人々という意味で用いたのがその由来でした。現在でもカリブ海の島を西インド諸島といいますね。あれも同じ理由で名付けられました。

彼らは古代から狩猟や採集、農耕を中心に、独自の文化を築き上げてきました。

彼らの文明からヨーロッパにもたらされたものは数知れません。

例えば、トウモロコシやじゃがいも、トマトなどはアメリカ大陸原産です。じゃがいもはその後のヨーロッパ飢饉を救い、トマトはイタリア食文化に欠かせないものとなりました。
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メソアメリカ文明

メキシコ一帯から中央アメリカに成立した古代文明を総称して、メソアメリカ文明といいます。
メソアメリカ文明を1つずつ見ていきましょう。

オルメカ文明

オルメカ文明は、紀元前10世紀ころから現在のメキシコ湾沿岸で成立した文明です。アメリカ大陸の都市文明としては最古のもので、のちの都市文明にさまざまな影響を与えました。紀元後850年頃に、北方から侵入した異民族によって滅ぼされました。

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(オルメカの巨大石像)

テオティワカン文明

テオティワカンは、紀元前2世紀から現在のメキシコシティ近郊に存在した文明です。都市文明として高度に発達した建築技術を有していて、巨大なピラミッドや壁画、彫刻などを残しています。この文明も6世紀ころに突如姿を消します。滅亡の原因は明らかにされていません。

トルテカ文明

6世紀にテオティワカン文明のあと、メキシコ高原に成立しました。しかし、統一した国家を形成すること無く、アメリカ大陸各地に分散しました。

マヤ文明

6世紀、メキシコのユカタン半島を中心に繁栄したのがマヤ文明です。マヤは優れた都市構造や階級制度、階段ピラミッドを創りあげました。また、マヤ文字といわれる絵文字を用いていました。
16世紀、スペイン人によって滅ぼされてしまいます。

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(マヤ文明の遺跡 チチェン=イツァ)

アステカ文明

アステカ族という民族が、12世紀頃にメキシコ高原のテスココ湖を中心につくった文明です。テスココ湖の中心にあった島にテノチティトランという首都を築き、壮麗な石造建築を建設しました。アステカは神官が政治を行う神権政治で統治され、神殿やピラミッド、象形文字、太陽暦などを発明しました。1521年、スペインのコンキスタドールであったコルテスによって滅ぼされてしまいました。




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