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豊臣秀吉 土地や百姓に関する政策~太閤検地・刀狩令・身分統制令~ |
著作名:
早稲男
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はじめに
1590年の天下統一前後から、秀吉はそれまでのものとは違った政策を打ち出しました。それらの多くは江戸幕府に継承されたため、江戸時代の基礎を築いたとも言われています。ここでは土地や百姓に関する政策についてみていきましょう。
太閤検地
1582年~1598年にかけて全国各地の農地の収穫高などを調べさせた政策です。
複雑な土地所有関係を整理し土地制度を一新したために、それまでの荘園制度は完全に崩壊しました。
従来は、貫高制といって土地面積の割合に応じて課税するという仕組みだったのですが、これでは実際の生産高とは関係のは無く課税されてしまいます。
そこで考えられたのが「この土地はどれだけ収穫できるか」を基準にするというものでした。この基準は江戸時代でもそのまま使われています。
太閤検地では、物差しや升などの度量衡を統一して計測が行われました。
石田三成、浅野長政、増田長盛といった、秀吉の側近たちが検地奉行として職務を遂行しました。
刀狩令
1588年に出されたもので、農民の武具(刀など)をお寺の仏像を建てる材料に使う、という名目で没収しました。これによって農民の一揆を抑えることが狙いだったとされています。
織田信長の時代から、農民や僧の一揆の鎮圧には難儀していましたので、その一揆自体をなくしてしまおうという考え方だったのかもしれません。
またこれによって、農民はあくまで農民であると身分を分離することにもつながりました。
農民出身の秀吉だからこそ、農民の力を恐れたのかもしれませんね。
身分等政令
身分等政令は1591年に秀吉が、そして同じような内容で1592年に豊臣秀次が人掃令として制定しています。
秀吉はこの身分等政令によって、武士が町人や商人、百姓になるのを禁じ、百姓が商人や職人になることを禁止しました。これは朝鮮出兵に向けて、武士の確保そして年貢を負担する百姓の人員を確保することが目的でした。
秀次は翌1592年にこれを人掃令として徹底させ、国民の職業別の戸数や人数を把握するために戸口調査を行ないました。
これらの政策は、結果的に士農工商の原型として江戸時代に踏襲されていくことになります。
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