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戦国時代 戦国大名が独自に定めた分国法一覧
著作名: 早稲男
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戦国武将の悩み

領土拡大のために他国と戦っていたと思えば、部下に下克上をされる。
平和に暮らしたいと思っていたのに、他国から攻められる。
せっかく戦が終わったと思えば一族の中で争いが始まる、農民からも不満が出る。

戦国時代の武将は、まさに休まることが許されない、そんな緊迫した毎日を送っていました。
そこで、部下の統制をしっかりと行い領土支配の体制を整えることを各国の武将は考えるようになります。
そのような中で生まれたのが、分国法と呼ばれる、各国独自の法律です。
今で言う条例みたいなものです。
ここでは代表的なものをいくつか表にまとめてみました。

分国法戦国大名特徴
陸奥塵芥集伊達稙宗(たねむね)分国法の中で最大の規模で171条ある。
駿河今川仮名目録今川氏親・義元東国では最古。訴訟や土地の取り決めに関する項目が多い
甲斐甲州法度之次第武田信玄喧嘩両成敗について記載
越前朝倉景高条々朝倉景高家訓の色合いが強い
近江六角氏式目六角義賢・義治他国のものとは違い、大名の権力を制限している。
土佐長宗我部元親百ヶ条長宗我部元親喧嘩やばくち、相撲見物の禁止。武士道を心がけること

※喧嘩両成敗とは
2人の間で争いごとがあったときに、どちらが悪いというわけではなく、どちらとも怒られますよという考え方です。

ここで書いたのは、数ある分国法の中でもごくわずかなものです。
戦国大名、国によって抱えている問題は違い、その背景を知ることでなぜ分国法でこのような記載がなされているのかという理解が深まるかもしれませんね!

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