郭子興(かくしこう)は、元末に現れた紅巾軍(こうきんぐん)と呼ばれる、宗教的傾向をもった農民反乱軍の一指導者です。
郭子興は、若い頃はヤクザめいた遊侠の徒と交際していました。もともとは富豪でしたが、大酒飲みで面倒見のよい親分肌の人物でした。中国史にはよくあることですが、郭子興は多くの壮士と交際しては私財を与えていたので、やがて破産します。たまたま元末の動乱が起こると、郭子興は紅巾軍の一武将として立ち上がり、壮士数千人を率いて濠州(ごうしゅう)の城を乗っ取り、群雄の一人となります(この濠州で郭子興は朱元璋を見いだしたのです)。
郭子興は面倒見のよい人物でしたが、偉人とは言えなかったようです。しかし朱元璋の才能を見いだして用いたことが、郭子興の力となりました。郭子興は朱元璋に自分の養女の馬氏を妻として与えましたが、馬氏こそ後に賢夫人と讃えられた馬皇后です。
郭子興は朱元璋の協力もあって、たびたび元軍を破りましたが、仲間との間に内紛が絶えず、やがて病を得て没しました。