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【近代産業の発展、財閥の発達、社会主義運動、大逆事件】 受験日本史まとめ 62
著作名: Cogito
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資本主義の発展

日露戦争後、戦後経営のための財政が膨張し、政府は外国債や国内債の募集を拡大し、またさまざまな増税を財源に当てましたが、依然政府の財政状態は苦しいままでした。こうした状況により、日露戦争後は日清戦争後に比べ企業の勃興はあまり活発でなく、1907年(明治40年)には恐慌がおこり、その後不況が続きました。

日露戦争後、遅れていた重工業の分野が発展していきました。八幡製鉄所以外にも、民間の日本製鋼所などが設立され、工作機械工業では池貝鉄工所などが設立されました。軽工業の分野でも、国産力織機が使われるようになりました。しかし、依然として軽工業が主体であり、日露戦争による軍需品や重工業資材の輸入が増加したため貿易収支は赤字でした。鉄道分野では1906年(明治39年)に鉄道国有法が発布され、全国の私鉄がすべて国有化されました。

資本主義の発展に伴い、三井・三菱・住友・安田・古河などの財閥が多角的経営を始めました。1909年(明治42年)に三井が三井合名会社を設立し、各財閥も持株会社を中心にコンツェルンとなり、独占資本が形成されました。江戸時代に呉服商・両替商として財を成した三井は、維新後政商として銀行・物産・炭鉱業などで発展し、1890年(明治23年)以後、紡績・製紙・電機・金属・機械などの分野で企業を設立し、1909年(明治42)に三井合名会社を頂点に巨大なコンツェルンを形成しました。三菱は明治維新後に、岩崎弥太郎が政府の特権的な保護を受け海運業で成功し、その後、造船・保険業を中心に成長し、1893年(明治26年)には三菱合資会社を設立し、製鉄・商事・信託・製紙・鉱業などに進出し、1919年(大正8年)には銀行部門が三菱銀行として独立し、合資会社のもと財閥を形成しました。

日本の資本主義は、ヨーロッパで200年〜300年かかった過程を、半世紀で達成したという特色があるといえます。こうした急速な発展は、すでに産業革命を終えていた欧米先進諸国からさまざまな諸制度・技術・機械・知識などを導入・移植したことによりもたらされました。こうした急速な発展の背景には、寺子屋教育などを引き継いだ学校教育による国民の識字率の高さ、教育制度を通じて中下層の庶民が国家の指導階層まで上昇できる社会流動性の高さ、日本人特有の勤勉性、宗教的な束縛がなかったこと、国家の大部分が同一民族・同一言語を用い、宗教対立があまりなかったことなど、江戸時代以来の日本社会の特色があったといえます。


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