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【弥生時代、金属器の使用、水稲耕作、弥生土器】 受験日本史まとめ 2
著作名: Cogito
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水稲耕作の伝来

稲作は縄文晩期に中国や朝鮮半島南部から伝播し、九州北部で始まりました。

水稲耕作は最初湿田が主流でしたが、生産性が低かったため、弥生後期には西日本で灌漑施設を整備した乾田が発達しました。それに伴い、直播きから田植えに変化していきました。

農具も最初木製農具で、木鋤・平鍬・又鍬・木臼・竪杵・えぶり・大足・田舟などが使われていました。稲は穂首刈りという収穫方法で、石包丁が使われていましたが、後に鉄鍬に変わりました。

収穫された穀物は、害獣から守るために高床倉庫で保存され、機織りや紡錘車で衣類も作られました。

高床倉庫は、静岡県南部の登呂遺跡で発見されます。


弥生時代の集落と墓制

弥生時代には、環濠集落と高地性集落がありました。主な遺跡は以下の通りです。

登呂遺跡(静岡)高床倉庫、木製農具、水田を有する遺跡。
板付遺跡(福岡)弥生前期の環濠集落。
唐古・鍵遺跡(奈良)多数の弥生土器が出土。日本最大級の環濠集落。
吉野ヶ里遺跡(佐賀)弥生前期〜後期に発達した日本屈指の大環濠集落。
紫雲出山(香川)代表的な高地性集落。






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