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十八史略『赤壁之戦(操遺権書曰〜)』現代語訳(口語訳)・書き下し文と解説
著作名: 走るメロス
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現代語訳(口語訳)

操権に書を遺りて曰はく、
曹操が孫権に書状を送って言うことには、


「今水軍八十万の衆を治め、将軍と呉に会猟せん。」と。
「いま(私は)八十万の水軍を治めているが、将軍(孫権)と呉で一戦交えたいと思いっている。」と。

権以つて群下に示す。
孫権は家臣にこれを示しました。

色を失はざるは莫し。
顔色を失わない者はいませんでした。

張昭之を迎へんと請ふ。
張昭は(降伏して)これ(曹操の軍)を迎え入れることを願いました。

魯粛以つて不可と為し、権に勧めて周瑜を召さしむ。
魯粛はそれはよくないと考え、周瑜を呼ぶよう孫権に進言しました。

瑜至りて曰はく、
周瑜がやってきて言うことには、
「請ふ数万の精兵を得て、進んで夏口に往き、保んじて将軍の為に之を破らん。」と。
「数万の精鋭を与えてくだされば、進んで夏口に行き、責任をもって将軍(孫権)のためにこれ(曹操軍)を破りましょう。」と。




権刀を抜き前の奏案を斫りて曰はく、
孫権は刀を抜いて前にあった机を叩き切って言うことには、
「諸将吏敢へて操を迎へんと言ふ者は、此の案と同じからん。」と。
「将軍や官吏の中で、曹操を迎え入れようと言う者は、この机と同じようになる。」と。



遂に瑜を以つて三万人を督せしめ、備と力を併はせて操を逆へ、進んで赤壁に遇ふ。
かくして周瑜に三万人(の兵)を率いさせて、劉備と力を合わせて曹操を迎撃し、(兵を)進めて赤壁で遭遇しました。

瑜の部将黄蓋曰はく、
周瑜の部隊長の黄蓋が言うことには、

「操の軍方に船艦を連ね、首尾相接す。
「曹操の軍は今まさに船艦を連結しており、船首と船尾が接しています。

焼きて走らすべきなり。」と。
焼き討ちにして敗走させることができます。」と。





乃ち蒙衝・闘艦十艘を取り、燥荻・枯柴を載せ、油を其の中に灌ぎ、帷幔に裹み、上に旌旗を建つ。
そこで蒙衝(とういタイプの船艦)と闘艦(とういタイプの船艦とを合わせて)十艘を選んで、枯草や枯れた柴を積み込み、油をその中にそそぎこみ、幕で包んで上に旗を立てました。

予め走舸を備へ、其の尾に繋ぐ。
あらかじめ足の速い船を準備して、その船尾に繋いでおきました。

先づ書を以つて操に遺り、詐りて降らんと欲すと為す。
まず親書を曹操に送り、偽って降伏したいと申し出ました。

時に東南の風急なり。
ちょうどそのとき、東南の風が強く吹いていました。

蓋十艘を以つて最も前に著け、中江に帆を挙げ、余船次を以つて倶に進む。
黄蓋は船十隻を最前線につけて、長江の中ほどに帆を挙げ、その他の船は順に従って進みました。



操の軍皆指さして言ふ、
曹操の軍の者は皆指をさして言いました。

「蓋降る。」と。
「黄蓋が降伏したぞ。」と。


去ること二里余り、同時に火を発す。
(曹操軍との)距離が二里ほどになると同時に火をつけました。

火烈しく風猛く、船の往くこと箭のごとし。
火の勢いは激しく風は強く、船が進む様子は矢のようでした。

北船を焼き尽くし、烟焔天に漲る。
北船(曹操軍の船)を焼きつくし、煙や炎は空いっぱいに広がりました。

人馬溺焼し、死する者甚だ衆し。
人や馬は溺れたり焼けたりと、死者は大変な数になりました。

瑜等軽鋭を率ゐて、雷鼓して大いに進む。
周瑜は軽装備の兵士を引き手、太鼓を鳴らして進撃しました。

北軍大いに壊れ、操走げ還る。
北軍(曹操の軍)は大きく崩れ、曹操は逃げ帰ったのでした。



後屢(しばしば)兵を権に加ふるれども、志を得ず。
その後、(曹操は)何度か孫権に兵を仕向けたのですが、目的を果たすことができませんでした。

操、歎息して曰はく、
曹操はため息をついて言いました。

「子を生まば当に孫仲謀のごとくなるべし。
b]「子どもを産むのであれば孫仲謀(孫権)のようになってほしい。

向者(さき)の劉景升の児子、豚犬なるのみ。」と。
さきに降伏した劉表の子は、豚や犬のようなものだ。」と。」




単語・文法解説

会猟直訳すると「会って狩りをする」だが、「戦を交える」という意味でも使われる
不可「できない」ではなくて「よくない」と訳す
責任をもって
「まさに」と読み、「今ちょうど」と訳す
闘艦当時の船艦のタイプの1つで、中型の船
走舸小回りのきく足の速いタイプの船
最著前最前列につけて
中江長江の中程
烟焔「烟」は煙、「焔」は炎を指す
軽鋭装備の軽い兵士


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