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ホルバインとは わかりやすい世界史用語2544
著作名: ピアソラ
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ホルバインとは

ハンス=ホルバイン(子)は、十六世紀前半のヨーロッパを代表する肖像画家として、その冷徹なまでの客観性と、驚異的な細部描写によって、美術史に不滅の名を刻みました。彼は、後期ゴシック様式で知られた画家ハンス=ホルバイン(父)の息子として、ドイツのアウクスブルクに生まれ、芸術的な環境の中でその才能を育みました。ホルバインのキャリアは、一つの都市や国にとどまることなく、宗教改革の動乱に揺れるスイスのバーゼルから、テューダー朝の栄華を極めたイングランドのロンドンへと、ヨーロッパを横断する国際的なものでした。彼は、デジデリウス=エラスムスやトマス=モアといった当代きっての人文主義者から、イングランド王ヘンリー八世とその宮廷の人々まで、時代の主役たちの姿を、その外見だけでなく、社会的地位や内面性までも描き出すことに成功しました。その作品は、毛皮の質感、宝石の輝き、布地の刺繍といった物質的なディテールを、触れることができるかのようなリアリズムで再現する一方で、モデルの心理を冷静に、そして時には容赦なく暴き出します。ホルバインは、肖像画家としてだけでなく、宗教画、壁画、そして木版画のデザイン、さらには宝飾品や宮廷の衣装のデザインに至るまで、その多岐にわたる才能を発揮した、真のルネサンス的芸術家でした。



バーゼルでの飛躍と人文主義との出会い

ハンス=ホルバイン(子)は、1497年か1498年に、神聖ローマ帝国の自由都市であり、金融の中心地であったアウクスブルクで、著名な画家であったハンス=ホルバイン(父)の次男として誕生しました。彼は、兄アンブロシウスとともに、父の工房で絵画の初期教育を受け、後期ゴシックの伝統とイタリア=ルネサンスの新しい様式に触れました。1515年頃、ホルバイン兄弟は、より大きな活躍の場を求めて、人文主義と印刷業の中心地として栄えていたスイスのバーゼルへと移住します。バーゼルでの初期の仕事は、看板のデザインや、デジデリウス=エラスムスの『痴愚神礼讃』の余白への即興的な素描など多岐にわたり、その早熟な才能を示しています。1519年にはバーゼルの画家組合にマイスターとして登録され、翌年には市の市民権を獲得して結婚し、この街に確固たる基盤を築きました。この時期、彼は市庁舎の壁画装飾や、『墓の中の死せるキリスト』のような衝撃的な宗教画、そして市長夫妻の肖像画などを制作し、バーゼルで最も重要な画家としての地位を急速に確立していきます。ホルバインのキャリアにおいて決定的に重要だったのは、当時ヨーロッパ最高の人文主義者であったデジデリウス=エラスムスとの出会いでした。1523年頃から、ホルバインはエラスムスの肖像を複数制作し始め、これらの肖像画は、エラスムスが自身のイメージをヨーロッパ中に配布するための、いわば知的な名刺として機能しました。ホルバインは、エラスムスを、書斎で執筆に没頭する学者の姿として描き、その鋭い知性と思慮深い人柄を見事に捉えました。エラスムスを通じて、ホルバインは、出版業者のヨハン=フローベンといったバーゼルの人文主義者たちと緊密な関係を築き、彼らの肖像画も数多く手がけました。この時期にデザインされた木版画シリーズ『死の舞踏』は、あらゆる身分の人々が死の前では平等であることを示す伝統的な主題を扱っていますが、その鋭い社会風刺には、エラスムス的な改革主義の精神が反映されています。やがて、バーゼルで宗教改革の波が激しくなり、聖像破壊運動によって宗教画の注文が途絶えると、ホルバインは、エラスムスの紹介状を携えて、新たな活動の場をイングランドに求めることを決意します。
イングランドでの成功と『大使たち』の謎

1526年、ホルバインは、エラスムスからイングランドの大法官であり高名な人文主義者でもあったトマス=モアに宛てた紹介状を手に、ロンドンへと渡りました。モアはホルバインを温かく迎え入れ、自身のサークルに紹介しました。この滞在中の最大の成果は、モアとその家族を描いた、画期的な集団肖像画『サー=トマス=モアの家族像』でした。この作品の現物は失われましたが、習作素描などから、人物たちを家庭内の日常的な一場面のように自然に配置した、その革新的な構想を知ることができます。モアの紹介を通じて、ホルバインはカンタベリー大主教ウィリアム=ウォラムなど、テューダー朝の宮廷における重要人物たちの肖像画を描く機会を得ました。これらの作品において、ホルバインは、モデルの社会的地位を豪華な衣装や持ち物によって克明に描き出すと同時に、彼らの顔を一切の感傷を排した冷静な視線で捉えています。1528年に一旦バーゼルへ帰還したものの、聖像破壊運動で芸術活動が困難になったため、1532年には再びイングランドへと渡り、永住することになります。この時、かつてのパトロンであったモアは失脚していましたが、ホルバインはロンドンに拠点を置くハンザ同盟のドイツ商人たちに新たな顧客を見出しました。その代表作である『ゲオルク=ギーゼの肖像』(1532年)は、若い商人を彼の職業と私生活を象徴する様々なオブジェに囲まれた姿で描き、ガラスの透明感や金属の輝きといった物質を完璧に再現する驚異的な技術によって、彼の名声を再びロンドンに確立しました。1533年に制作された大作『大使たち』は、ホルバインの芸術の頂点を示す傑作です。イングランドに派遣されていた二人のフランス人外交官を描いたこの作品は、彼らの間に天球儀、日時計、リュートといった学問と芸術を象徴する品々を並べ、彼らが高度な教養を持つルネサンス人であることを示しています。しかし、この作品は、前景に描かれた歪んだ頭蓋骨のイメージによって、美術史上最も謎に満ちた作品の一つとされています。この「アナモルフォーズ」と呼ばれる騙し絵の技法で描かれた頭蓋骨は、「メメント=モリ」(死を忘れるな)というキリスト教的な警告の象徴であり、二人の大使が持つ富や権力、学識といった現世的な価値が、死の前ではすべて虚しいものであるという「ヴァニタス」(空虚)の思想を力強く示しています。弦が一本切れたリュートや、画面左上のカーテンの陰に隠された小さな十字架像といったモチーフも、現世の不和と、それに対するキリストによる救済への希望という、多層的なメッセージを内包しているのです。
ヘンリー八世の宮廷画家としての栄光と晩年

1530年代半ば、ホルバインは、アン=ブーリンの紹介などを通じて、ついにヘンリー八世の宮廷と直接的な関係を築き、1536年頃には、国王の宮廷画家としての地位を確立しました。彼の宮廷画家としての最初の重要な仕事は、ホワイトホール宮殿の私室を飾るための、テューダー朝の栄光を讃える等身大の壁画でした。この壁画は火災で焼失しましたが、下絵などから、ヘンリー八世が父ヘンリー七世とともに堂々とした仁王立ちのポーズで描かれていたことがわかります。この壁画でホルバインが創造した、威圧的で自信に満ちたヘンリー八世のイメージは、その後の国王の公式肖像の原型となり、テューダー朝の絶対的な権力を視覚的に確立する上で絶大な効果を発揮しました。ホルバインは、ヘンリー八世の三番目の王妃であるジェーン=シーモアの肖像画を描きましたが、彼女の死後、国王の新たな花嫁候補を探すための重要な任務を託されることになります。彼は、国王の代理としてヨーロッパ各地の宮廷に派遣され、クレーフェ公女アンナやデンマークのクリスティーナといった王妃候補たちの肖像画を制作しました。これらの肖像画は、単なる芸術作品ではなく、国際的な婚姻政策における極めて重要な外交文書としての役割を担っていたのです。宮廷画家としての地位を確立したホルバインは、晩年に至るまで、国王やその側近たちだけでなく、宮廷に出入りする様々な人々の肖像画を精力的に制作し続けました。彼のモデルは、大法官トマス=クロムウェルといった権力者から、宮廷の医師、天文学者に至るまで多岐にわたり、テューダー朝の宮廷社会の縮図を形成しています。この時期、ホルバインは、直径数センチほどの小さな円形の画面に描く、ミニアチュール(細密肖像画)の形式を完成させ、これらは個人的な贈答品として宮廷の人々の間で珍重されました。彼の才能は絵画制作にとどまらず、宮廷で用いられる豪華な杯や宝飾品、衣装のデザインなど、応用美術の分野でも遺憾なく発揮されました。1543年の秋、ロンドンでペストが流行する中、ホルバインもその病に倒れ、遺言書を作成した直後に亡くなりましたが、その正確な没日や埋葬場所は不明のままです。
ホルバインの遺産

ハンス=ホルバイン(子)は、その国際的なキャリアと、比類のない写実の技術によって、北方ルネサンスの肖像画を完成の域にまで高めました。彼の芸術の核心は、モデルの内面や感情に深入りすることなく、その外見と、彼らを取り巻く物質世界を、冷徹なまでの客観性をもって記録するという、独特のリアリズムにあります。ホルバインが残した肖像画の数々は、宗教改革と絶対王政の確立という、激動の時代を生きた王侯貴族、聖職者、人文主義者、そして商人たちの姿を、驚くべき生々しさで現代に伝えてくれる、他に類を見ない歴史的ドキュメントです。彼は、中世以来、大陸から大きく遅れをとっていたイングランドの絵画のレベルを一気に引き上げ、その後のイングランドにおける肖像画の伝統の基礎を築きました。絵画だけでなく、版画や応用美術の分野でも、彼はルネサンス様式をアルプス以北に根付かせ、その洗練されたデザインは後世の工芸に大きな影響を与えました。ホルバインの作品が、五世紀近くの時を経てもなお、私たちを強く引きつけるのは、その驚異的な技術力もさることながら、彼の眼差しが捉えた人間と世界の姿が、一切の理想化を拒んだ、揺るぎないリアリティに貫かれているからに他なりません。

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