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『ハムレット』とは わかりやすい世界史用語2516 |
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著作名:
ピアソラ
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『ハムレット』とは
ウィリアム=シェークスピア作『デンマークの王子ハムレットの悲劇』、通称『ハムレット』は、英文学史上、そしておそらくは世界文学史上、最も有名で、最も多くの議論を呼んできた戯曲です。1601年頃に書かれたとされるこの作品は、父王を殺されたデンマークの王子が、亡霊となった父から復讐を命じられるという、一見すると典型的なエリザベス朝時代の「復讐悲劇」の形式をとっています。しかし、シェークスピアは、このありふれたジャンルの枠組みを借りながら、それを遥かに超える、人間の内面の複雑さ、存在の不確かさ、そして言葉と現実の間に横たわる深い溝を探求する、前例のない深みを持った悲劇を創造しました。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」。このあまりにも有名な一節に象徴されるように、主人公ハムレットは、単なる行動的な復讐者ではありません。彼は、憂鬱に沈み、思索にふけり、懐疑に苛まれ、そして狂気を装う、謎に満ちた人物です。彼の行動の遅延、その内面の葛藤は、四世紀以上にわたって、批評家、学者、俳優、そして観客を魅了し、当惑させ続けてきました。なぜ彼はすぐに行動しないのか。彼の狂気は本物なのか、それとも偽りなのか。彼の言葉の裏に隠された真意は何なのか。これらの問いに、唯一の正解はありません。
『ハムレット』は、その上演時間の長さ、テクストの複雑さ、そして解釈の多様性において、シェークスピアの全作品の中でも際立っています。それは、復讐の物語であると同時に、愛と裏切りの物語であり、政治的な陰謀の物語であり、そして死と腐敗、実存的な不安をめぐる哲学的な瞑想でもあります。登場人物たちは、誰もが多層的で、単純な善悪の二元論では割り切れない、矛盾を抱えた存在として描かれています。
物語の詳細な筋立て:デンマークという名の牢獄
『ハムレット』の物語は、デンマークの王宮エルシノア城を舞台に、息詰まるような緊張感の中で展開します。物語の筋を詳細に追うことは、この複雑な悲劇の構造と、登場人物たちの心理的な軌跡を理解するための第一歩となります。
第一幕:亡霊の出現と復讐の誓い
物語は、真冬の深夜、エルシノア城の城壁の上で幕を開けます。凍てつくような寒さと闇の中、衛兵のフランシスコーとバーナードーが、不安げに言葉を交わしています。そこへ、学者のホレイショーと、もう一人の衛兵マーセラスがやってきます。バーナードーとマーセラスは、ここ二晩続けて、深夜に先王ハムレットそっくりの亡霊を目撃したと語りますが、理性的なホレイショーは、それを単なる幻覚だと一蹴します。
しかし、彼らの会話の最中、まさにその亡霊が、先王がまとっていた甲冑姿で現れます。衝撃を受けたホレイショーは、亡霊に話しかけますが、亡霊は一言も発さずに消え去ります。ホレイショーは、これが国家の一大事を告げる不吉な前兆であると確信し、この出来事を、先王の息子であり、自分の友人でもある若き王子ハムレットに知らせることを決意します。
場面は、城内の広間へと移ります。そこでは、新しい国王クローディアスが、廷臣たちを前に、堂々と演説を行っています。クローディアスは、兄である先王ハムレットが亡くなってからまだ日も浅いにもかかわらず、その未亡人である王妃ガートルードを娶り、王位に就いたことを宣言します。彼は、悲しみと喜びをないまぜにしながら、この結婚が国家の安定のために必要であったと正当化します。そして、隣国ノルウェーの若き王子フォーティンブラスが、かつて先王ハムレットに奪われた土地を取り戻そうと軍を動かしていることに対し、外交的な手を打ったことを報告します。
宮廷が祝賀ムードに包まれる中、ただ一人、黒い喪服に身を包んだハムレットだけが、陰鬱な表情で佇んでいます。クローディアスは、彼に義理の息子として親しげに話しかけ、いつまでも父の死を嘆き続けるのは「女々しい」ことだと諭します。母であるガートルードも、ハムレットに喪服を脱ぎ、新しい父を敬うように求めます。ハムレットは、表面上は従順な言葉を返しますが、その言葉には棘が含まれています。彼は、ヴィッテンベルクの大学に戻りたいという願いを、クローディアスとガートルードに引き留められ、不承不承ながらデンマークに留まることに同意します。
廷臣たちが去り、一人残されたハムレットは、最初の長大な独白で、その胸のうちにある絶望と嫌悪を吐き出します。「おお、このあまりにも、あまりにも堅固な肉体が溶け、融け、露と消えてしまえばよいのに!」。彼は、父の死から二ヶ月も経たないうちに、その弟と再婚した母の性急な行動を激しく非難します。彼にとって、世界は「雑草の生い茂る、手入れのされていない庭」のように、腐敗しきった場所にしか見えません。
そこへ、ホレイショー、マーセラス、バーナードーが現れ、ハムレットに昨夜の亡霊の一件を報告します。父の亡霊が現れたと聞き、ハムレットは強い衝撃を受け、今夜、自らも城壁に赴き、その目で確かめることを決意します。彼は、何か邪悪な企みが隠されていることを予感します。
一方、別の部屋では、重臣ポローニアスの一家が登場します。息子のレアティーズは、フランスへ留学するために、父ポローニアスと妹オフィーリアに別れを告げています。レアティーズは、オフィーリアに対し、ハムレット王子が彼女に寄せる愛情の言葉を真に受けないようにと警告します。王子の愛は、彼の身分や国家の都合によって縛られており、自由な選択はできないのだ、と。続いて登場したポローニアスもまた、息子に処世術に関する長々しい説教を垂れた後、娘オフィーリアに対し、ハムレットとの関係を断つように厳しく命じます。彼は、ハムレットの求愛を、娘の純潔を奪うための不純な罠だと決めつけます。純粋なオフィーリアは、父と兄の言いつけに従うことを約束します。
その夜、ハムレットはホレイショー、マーセラスと共に、再び城壁の上で亡霊を待ち受けます。城内からは、クローディアスの宴会の騒がしい音が聞こえてきます。ハムレットは、デンマーク人の大酒飲みの悪評を嘆きます。やがて、亡霊が現れ、ハムレットに自分についてくるようにと手招きします。ホレイショーとマーセラスは、悪魔の罠かもしれないとハムレットを引き留めますが、彼はそれを振り切り、一人で亡霊の後を追います。
二人きりになった場所で、亡霊はついに口を開き、自らがハムレットの父の亡霊であること、そして、世間で言われているような、庭で眠っている間に毒蛇に噛まれて死んだのではなく、眠っている間に弟のクローディアスによって、耳から毒を注ぎ込まれて殺害されたのだという、恐るべき真実を告げます。亡霊は、クローディアスが王位と王妃を奪ったこの「近親相姦的で、不義なる獣」への復讐を、息子ハムレットに命じます。ただし、母ガートルードに対しては、直接手を下さず、その罪は天の裁きと彼女自身の良心に委ねるようにと付け加えます。夜明けと共に、亡霊は姿を消します。
この衝撃的な啓示を受け、ハムレットの世界は完全に覆されます。彼は、この復讐を自らの生涯の使命として受け入れ、復讐を遂げるまでは、他の全てのことを忘れると誓います。そして、彼は一つの奇妙な決断を下します。それは、これから「奇矯なふるまい」、すなわち狂気を装うということです。彼は、後から追ってきたホレイショーとマーセラスに、今夜見たこと、そしてこれから自分がどのような奇妙な行動をとったとしても、決して口外しないようにと、剣に手をかけて固く誓わせるのでした。
第二幕:狂気の仮面と監視の網
第二幕は、第一幕から数週間が経過したところから始まります。ポローニアスは、召使いのレイナルドーをパリへ送り込み、息子レアティーズの素行を、それとなく探るようにと命じます。この場面は、これから劇全体を覆うことになる、監視と策略のテーマを暗示しています。
そこへ、娘のオフィーリアが、怯えきった様子で駆け込んできます。彼女は、ハムレットが、着衣を乱し、正気とは思えない様子で自分の部屋に押し入ってきたと報告します。彼は、一言も発さずに、ただじっと彼女の顔を見つめ、深いため息をついて立ち去ったといいます。ポローニアスは、これを、自分がハムレットとの交際を禁じたために、王子が恋の病で狂気に陥ったのだと即座に結論づけます。彼は、この発見を国王に報告するために、急いで王宮へと向かいます。
一方、クローディアスとガートルードもまた、ハムレットの突然の変貌に深く憂慮していました。彼らは、ハムレットの学友であったローゼンクランツとギルデンスターンを宮廷に呼び寄せ、ハムレットの憂鬱の原因を探り出し、彼の気を紛らわせるようにと依頼します。この二人の廷臣は、王の命令を快く引き受け、ハムレットを探しに行きます。
ポローニアスが登場し、自分がハムレットの狂気の原因を発見したと、もったいぶって報告します。彼は、ハムレットがオフィーリアに宛てて書いた恋文を読み上げ、自らの診断の正しさを得意げに主張します。そして、ハムレットの狂気が本物かどうかを確かめるために、一つの策略を提案します。それは、オフィーリアを、ハムレットがいつも散歩する廊下に一人で歩かせ、自分と国王は、壁掛けのタペストリーの裏に隠れて、二人の会話を盗み聞きするというものでした。
そこへ、ハムレット本人が、本を読みながら登場します。ポローニアスは、彼に話しかけますが、ハムレットは、狂気を装いながら、ポローニアスを「魚屋」と呼んだり、彼の言葉を巧みにはぐらかしたりして、老人を翻弄します。その言葉は、一見すると支離滅裂ですが、その端々には、宮廷の腐敗や偽善を突く、鋭い風刺が込められています。
ポローニアスが去った後、ローゼンクランツとギルデンスターンがやってきます。ハムレットは、旧友との再会を喜びますが、すぐに彼らが王と王妃に送り込まれたスパイであることを見抜きます。彼は、友人たちを問い詰め、ついに彼らに白状させます。そして、ハムレットは、なぜ自分がこれほどまでに憂鬱なのかを、美しい散文で語ります。「近頃、どういうわけか、私はすっかり気力を失ってしまった…この見事な天空も、私には、有毒な蒸気の立ち込める、不潔な集まりにしか見えない。人間とは、何という傑作か!…しかし、私にとって、この土くれの精髄とは何だ?」。彼は、世界の美しさや人間の偉大さを認めながらも、それら全てが虚しく感じられるという、深い虚無感を吐露します。
ローゼンクランツは、ハムレットの気を紛らわせるために、旅役者の一座がエルシノアに向かっていることを告げます。ハムレットは、この知らせに喜び、役者たちを歓迎します。彼は、一座の座長に、トロイア戦争における、ヘカベの悲しみを語る場面を演じてみせるように頼みます。役者は、見事な演技で、息子を殺され、夫を失った老婆の悲痛な叫びを語り、その迫真の演技に、ハムレット自身も深く心を動かされます。
役者たちが去り、再び一人になったハムレットは、この日二度目の長大な独白で、自らを激しく罵ります。「おお、何というならず者で、卑しい奴隷なのだ、私は!」。彼は、架空の物語にすぎないヘカベの悲劇に涙を流した役者の姿と、父を殺され、復讐を誓いながらも、何もせず、言葉を弄しているだけの自分自身を比較し、その無力さに憤ります。
しかし、この自己嫌悪の中から、彼は新たな策略を思いつきます。それは、やってきた旅役者の一座に、先王が殺害された状況とそっくりの筋書きの芝居を、クローディアスの前で演じさせるというものでした。「芝居こそが、王の良心をとらえる罠だ」。もし、クローディアスが、その芝居を見て動揺するそぶりを見せれば、亡霊の言葉が真実であったことの、動かぬ証拠となる。ハムレットは、この「劇中劇」という罠を仕掛けることで、自らの行動の確証を得ようと決意するのでした。
第三幕:尼寺、劇中劇、そしてクローゼット
第三幕は、『ハムレット』全編を通じて、最も劇的な出来事が集中するクライマックスの連続です。ハムレットの狂気は頂点に達し、彼の仕掛けた罠が、宮廷の偽りの平和を根底から揺るがします。
幕は、クローディアスとガートルードが、ローゼンクランツとギルデンスターンから、ハムレットの憂鬱の原因を探り出せなかったという報告を受けるところから始まります。しかし、ハムレットが旅役者の一座に興味を示していると聞き、彼らは、今夜の上演に一縷の望みを託します。
そして、ポローニアスが提案した計画が実行に移されます。オフィーリアは、祈祷書を手に、廊下を歩かされます。クローディアスとポローニアスは、タペストリーの裏に身を隠します。そこへ、ハムレットが登場し、演劇史上最も有名な独白を口にします。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be: that is the question)」。これは、単なる自殺をめぐる思索ではありません。それは、人生の苦難に耐え忍ぶこと(生きること)と、行動を起こしてそれに立ち向かい、その結果として死ぬかもしれない危険を冒すこと(死ぬこと)の間の、根源的な選択をめぐる問いです。彼は、死後の世界への恐れが、私たちを行動から遠ざけ、決意を鈍らせるのだと結論づけます。
この思索の最中に、彼はオフィーリアの姿に気づきます。初め、彼は優しく彼女に話しかけますが、彼女が、かつて彼からもらった贈り物を返そうとすると、彼の態度は一変します。彼は、オフィーリアの純粋さをもはや信じることができず、彼女もまた、宮廷の欺瞞の一部であると感じています。彼は、彼女の貞節を激しく詰問し、「尼寺へ行け!」と繰り返し叫びます。この言葉は、修道院という意味と、売 春宿という俗語的な意味の、二重の意味を持っています。彼は、女性全般への激しい嫌悪と不信をぶちまけ、結婚を呪い、オフィーリアを狂乱の淵へと突き落とします。
隠れて二人の会話を聞いていたクローディアスは、ハムレットの狂気が、恋煩いが原因ではないこと、そしてその狂気には危険な何かが潜んでいることを見抜きます。彼は、ハムレットを口実をつけてイングランドへ送り込み、そこで始末してしまおうと決意します。
その夜、いよいよ劇中劇が上演されます。ハムレットは、役者たちに、自然な演技をするようにと細かく指示を与え、また、友人のホレイショーには、芝居の間、クローディアスの表情から目を離さないようにと頼みます。
宮廷の面々が席に着き、芝居が始まります。まず、無言劇(パントマイム)で、王妃が王への愛を誓うものの、王が眠っている間に、別の男が王冠を奪い、王の耳に毒を注ぎ込み、王妃を口説き落とすという、まさにクローディアスの犯行そのものが演じられます。クローディアスは、顔色を変えますが、まだ平静を保っています。
続いて、セリフのある本編の芝居、『ゴンザーゴー殺し』が始まります。劇中の王妃は、夫への永遠の愛を誓いますが、劇中の王は、再婚は利己的な動機から起こるものだと、皮肉を込めて語ります。ハムレットは、母ガートルードの隣に座り、挑発的な解説を続けます。そして、ついに、王の甥であるルシアーナスが、眠っている王の耳に毒を注ぎ込む場面がやってきます。
この決定的な場面を目の当たりにしたクローディアスは、ついに堪えきれなくなり、席を立ち、「明かりをつけろ!」と叫んで、取り乱した様子で広間から走り去ります。王の退席と共に、宮廷は混乱に陥り、芝居は中断されます。ハムレットとホレイショーは、王の有罪が証明されたことを確信し、勝利の声を上げます。
芝居の後、ガートルードは、ハムレットを自分の部屋(クローゼット)に呼び出します。ポローニアスは、またしてもタペストリーの裏に隠れて、母子の会話を盗み聞きしようとします。
母の部屋へ向かう途中、ハムレットは、一人で祈りを捧げているクローディアスを発見します。今こそ、復讐を遂げる絶好の機会です。しかし、ハムレットは剣を抜きかけ、そして思いとどまります。もし、祈りの最中に彼を殺せば、彼の魂は清められ、天国へ行ってしまうだろう。それでは、地獄の苦しみを味わっている父への、真の復讐にはならない。もっと彼が悪事を働いている最中に、魂が呪われるような瞬間に殺さなければならない。そう考え、ハムレットは、その場を立ち去ります。しかし、皮肉なことに、クローディアスは、罪の重さに打ちのめされ、言葉だけで、心からの祈りを捧げることができずにいました。「言葉は天に昇るが、想いは地を這う」。ハムレットは、絶好の機会を逃してしまったのです。
ハムレットは、母ガートルードの部屋へ入ります。彼は、母の性急な再婚と不貞を、激しい言葉で非難します。彼の剣幕に身の危険を感じたガートルードが助けを求めると、タペストリーの裏に隠れていたポローニアスが、「助けてくれ!」と叫び声を上げます。ハムレットは、それをクローディアス王だと勘違いし、躊躇なくタペストリー越しに剣を突き刺します。しかし、彼が殺したのは、王ではなく、哀れな老臣ポローニアスでした。
ハムレットは、ポローニアスの死体を前にしても、ほとんど動じることなく、再び母への詰問を続けます。彼は、先王ハムレットの肖像画と、現在の王クローディアスの肖像画を並べて見せ、二人の人間の品格がいかに違うかを説き、母の判断力の欠如を罵ります。その時、ハムレットの目にだけ、再び父の亡霊の姿が見えます。亡霊は、鈍ってしまった復讐の決意を研ぎ澄まし、怯えている母をいたわるようにと、ハムレットを諭します。亡霊が見えないガートルードは、ハムレットが虚空に向かって話しかけるのを見て、彼が完全に狂ってしまったのだと確信します。
ハムレットは、母に、クローディアスと同衾しないように、そして自分の狂気が偽りであることも漏らさないようにと告げます。そして、彼は、ポローニアスの死体をずるずると引きずりながら、部屋を後にするのでした。
第四幕:狂乱、陰謀、そして死の影
第四幕は、ポローニアスの死が引き起こした波紋と、それに対するクローディアスの巧妙な対応、そして、悲劇の連鎖が新たな犠牲者を生み出す様を描きます。
クローディアスは、ガートルードから、ハムレットがポローニアスを殺害したことを聞きます。彼は、この事件を巧みに利用し、ハムレットを危険人物としてイングランドへ追放することを正当化します。彼は、ローゼンクランツとギルデンスターンに、ハムレットからポローニアスの死体のありかを聞き出すように命じます。ハムレットは、彼らを「スポンジ」と呼び、王の権威を吸い取るだけの存在だと嘲り、死体の場所についてはぐらかし続けます。
クローディアスは、ハムレットを呼び出し、イングランドへすぐに出発するように命じます。ハムレットは、表面上は従順に従いますが、その言葉の端々には、王への侮蔑が隠されています。ハムレットが出発した後、クローディアスは独白で、彼の真の計画を明かします。彼は、イングランド王に宛てて、ハムレットが到着次第、即刻処刑するようにという密書を持たせていたのです。
デンマークの平原で、イングランドへ向かう船を待つハムレットは、フォーティンブラス率いるノルウェー軍が、一片の土地をめぐってポーランドと戦うために行進しているのに出くわします。彼は、名誉という些細な目的のために、多くの兵士が死に向かっていく姿を目の当たりにし、父を殺され、母を汚されたという、はるかに大きな理由を持ちながら、いまだ復讐を遂げていない自分自身を再び恥じます。「おお、今から後、我が思いは、血塗られたものとなれ。さもなくば、何の価値もなし!」。この出来事は、彼の復讐への決意を、新たにするきっかけとなります。
一方、エルシノア城では、新たな悲劇が進行していました。父ポローニアスの突然の死と、愛するハムレットの拒絶によって、オフィーリアは正気を失ってしまいます。彼女は、花輪を身につけ、意味の通らない歌を口ずさみながら、王と王妃の前に現れます。彼女の歌は、父の死と、失われた愛を暗示する、痛ましいものです。彼女の狂乱の姿は、宮廷の人々に深い衝撃を与えます。
そこへ、さらなる危機が訪れます。父の死の知らせを聞いて、フランスから急遽帰国したレアティーズが、民衆を扇動し、復讐を叫びながら城に乱入してきます。彼は、父の死の真相を明らかにしろと、クローディアスに詰め寄ります。クローディアスは、巧みな弁舌で、自分は無実であり、真犯人はハムレットであること、そして自分もレアティーズと共に、ハムレットへの復讐を望んでいることを示唆し、彼の怒りを巧みに操ります。そこへ、狂乱したオフィーリアが再び現れ、レアティーズの悲しみと怒りに、さらに火を注ぎます。
その後、事態は予期せぬ方向へ転回します。ホレイショーのもとに、ハムレットからの手紙が届きます。その手紙によれば、イングランドへ向かう途中、彼の船が海賊に襲われ、彼は混乱の中で海賊船に乗り移り、捕虜となったものの、海賊たちの好意でデンマークに送り返されることになった、というのです。ローゼンクランツとギルデンスターンは、そのままイングランドへ向かったと記されています。
クローディアスとレアティーズは、ハムレットがデンマークに戻ってくるという知らせに驚きますが、クローディアスは、これを好機として、新たな殺害計画を練り上げます。彼は、剣術の腕に優れたレアティーズの自尊心を煽り、ハムレットとの親善試合を装った、真剣勝負を仕組むことを提案します。さらに、その計画を確実なものにするために、二重の罠を仕掛けます。一つは、レアティーズの剣の先に、ほんのかすり傷でも致命傷となる、強力な毒を塗っておくこと。もう一つは、万が一それに失敗した場合に備えて、ハムレットが喉の渇きを訴えた時に、毒入りの杯を差し出すことです。レアティーズは、父の復讐のためならば、教会でさえもハムレットの喉を掻き切ってやると、この卑劣な計画に同意します。
この陰惨な計画が練られている最中に、王妃ガートルードが、悲痛な知らせを携えて現れます。オフィーリアが、小川のほとりで花輪を作っているうちに、足を滑らせて溺れ死んだというのです。彼女は、歌を口ずさみながら、ゆっくりと水の底に沈んでいったと語られます。この知らせは、レアティーズの悲しみを極限にまで高め、ハムレットへの復讐の炎を、さらに燃え上がらせるのでした。
第五幕:墓場、決闘、そして終焉
最終幕である第五幕は、死の匂いが色濃く立ち込める、墓場の場面から始まります。二人の墓掘り人が、これから埋葬されるオフィーリアの墓を掘りながら、彼女の死が自殺であるか否かについて、無学ながらも機知に富んだ問答を繰り広げます。彼らは、身分が高い人間は、自殺してもキリスト教徒としての埋葬が許されるのかと、社会の不条理を皮肉ります。
そこへ、デンマークに密かに帰還したハムレットとホレイショーがやってきます。ハムレットは、墓掘り人が、かつての宮廷の道化師ヨリックのものであった頭蓋骨を無造作に放り投げるのを見て、深い感慨にふけります。「ああ、哀れなヨリック!」。彼は、その頭蓋骨を手に取り、生前の陽気な姿を思い出し、人間の栄光や美貌も、死の前には、かくも無残な骸骨と化してしまうという、死の普遍性について瞑想します。かつてアレクサンダー大王も、シーザーも、死ねば土くれとなり、ビールの樽の栓に使われるかもしれない。この場面は、ハムレットが、もはや単なる個人的な復讐心を超えて、死という人間の根源的な運命を、冷静に見つめる境地に達したことを示しています。
やがて、オフィーリアの葬列がやってきます。自殺の疑いがあるため、儀式は簡素なものです。悲しみに打ちひしがれたレアティーズは、墓穴に飛び込み、姉の亡骸を抱きしめます。その光景を見て、自分が愛した女性の死を知ったハムレットもまた、隠れていた場所から飛び出し、自らの悲しみの深さを叫びます。「四十万人の兄弟が、その愛の全てを合わせても、我が愛の総量には及ばない!」。ハムレットとレアティーズは、墓穴の中でつかみ合いの乱闘を始め、廷臣たちによって引き離されます。
場面は城内に戻ります。ハムレットは、ホレイショーに、イングランドへの航海の途中で何が起こったのかを、詳しく語ります。彼は、王の密書を盗み読み、自分が処刑される運命にあることを知りました。そこで彼は、その密書を、ローゼンクランツとギルデンスターンを即刻処刑せよという内容の偽の指令書にすり替え、父の印章で封印し直したのです。翌日、海賊の襲撃が起こり、彼はデンマークに戻り、彼の元学友たちは、身代わりとして死に向かったのでした。ハムレットは、彼らの死に対して、もはや何の良心の呵責も感じていません。「彼らは自らその仕事に首を突っ込んできたのだ」。彼は、クローディアスを殺すことは、今や完全に正当な行為であると確信し、自らの運命を、神の摂理に委ねる心境に至っています。「一羽の雀が落ちるのにも、特別な摂理がある」。
そこへ、気取った廷臣オズリックが現れ、国王が、ハムレットとレアティーズの剣術の腕を試すために、親善試合を企画したことを、回りくどい言葉で伝えます。ハムレットは、それが罠であることを予感しながらも、挑戦を受けることを決意します。ホレイショーは、不吉な予感がすると彼を止めようとしますが、ハムレットは、「覚悟こそが全てだ」と、運命に立ち向かう決意を語ります。
いよいよ、宮廷の全員が見守る中、決闘が始まります。試合の前に、ハムレットは、レアティーズに対し、ポローニアスを殺害したのは、自らの狂気がしからしめたことであり、本心ではなかったと、公に謝罪します。レアティーズは、表面的にはその謝罪を受け入れますが、名誉の問題として、試合は行うと述べます。
試合が始まり、最初の二試合は、ハムレットが優勢に進めます。クローディアスは、ハムレットの勝利を祝うふりをして、毒入りの杯を差し出しますが、ハムレットは、後で飲むと言ってそれを断ります。休憩の後、三合目が始まりますが、その最中に、王妃ガートルードが、息子の勝利を祝して、クローディアスが用意した毒杯を、王の制止も聞かずに飲み干してしまいます。
試合が再開され、激しい打ち合いの中で、レアティーズは、毒を塗った剣先で、ハムレットにかすり傷を負わせることに成功します。しかし、続く乱闘の中で、二人の剣は取り違えられ、今度はハムレットが、その毒の剣で、レアティーズを傷つけます。
その瞬間、毒が回り始めた王妃が、「おお、私の愛しいハムレット!飲み物が、飲み物が!毒を盛られたわ!」と叫んで、倒れ込みます。瀕死のレアティーズもまた、自らの卑劣な計画の全てを告白し、「王に、王にこそ罪がある」と叫びます。
全ての真相を知ったハムレットは、ついに復讐の時が来たことを悟ります。彼は、「ならば、毒よ、お前の仕事をしろ!」と叫び、毒の剣でクローディアスを突き刺し、さらに、残った毒酒を、無理やり王の口に注ぎ込みます。こうして、クローディアスは、自らが仕掛けた二重の毒によって、絶命します。
ハムレットもまた、毒が全身に回り、自らの死期が近いことを悟ります。彼は、レアティーズと、互いの死を赦し合います。そして、彼は、信頼する唯一の友人ホレイショーに、自らも後を追って死のうとするのを押しとどめ、この悲劇の真相を、後世に正しく伝えるようにと、最後の力を振り絞って頼みます。「もしお前が私を心から愛してくれたのなら、しばし、この過酷な世に留まり、私の物語を語ってくれ」。
彼は、ノルウェーの王子フォーティンブラスが、次のデンマーク王にふさわしいと、その死に際の声を彼に与えます。そして、「残りは、沈黙だ(The rest is silence)」という最後の言葉を残し、息絶えます。
ハムレットが息を引き取ったその時、ポーランドからの帰路にあったフォーティンブラスが、イングランドからの使者と共に、城に到着します。使者は、ローゼンクランツとギルデンスターンを処刑したという報告をもたらしますが、もはやそれを聞く者はいません。フォーティンブラスは、デンマーク王家の人々が、ことごとく死体となって横たわっている、この凄惨な光景を目の当たりにして、愕然とします。
ホレイショーは、ハムレットとの約束通り、この一連の悲劇が、いかにして起こったのかを、世界に説明することを誓います。フォーティンブラスは、ハムレットの亡骸を、兵士として丁重に弔うようにと命じます。そして、四発の祝砲が轟く中、ハムレットの遺体が担ぎ出され、デンマークの新たな支配者となったフォーティンブラスが、悲劇の舞台の幕を引くのでした。
ハムレットという謎:人物像の多角的分析
『ハムレット』が不朽の魅力を放ち続ける最大の理由は、主人公ハムレットという人物が、一筋縄ではいかない、尽きることのない謎を提示し続けるからです。彼は英雄か、それとも悪党か。哲学者か、狂人か。行動の人か、それとも優柔不断な夢想家か。ここでは、彼の複雑な性格を形成する、いくつかの重要な側面から、その人物像に迫ります。
憂鬱な王子とルネサンス的人間
物語の冒頭から、ハムレットは深い憂鬱(メランコリー)に沈んでいます。これは、単なる悲しみではありません。エリザベス朝時代において、メランコリーは、黒胆汁の過剰によって引き起こされる、特定の気質と考えられていました。それは、知的な思索や芸術的な感受性と結びつけられる一方で、社会からの疎外や、狂気へと至る危険な状態とも見なされていました。ハムレットの黒い喪服は、彼の内面的なメランコリーの、外面的な象徴です。
彼の憂鬱の原因は、複合的です。愛する父の突然の死、そして、その悲しみが癒える間もなく、母が叔父と再婚したという事実。この二重の裏切りは、彼の理想を打ち砕き、世界全体への信頼を失わせます。彼にとって、デンマークは「牢獄」となり、世界は「雑草の生い茂る庭」と化します。
しかし、ハムレットは、単なる憂鬱質の人というだけではありません。彼は、ヴィッテンベルクの大学で学んだ、ルネサンス期の理想的な人間像を体現する人物でもあります。オフィーリアが嘆くように、彼はかつて「廷臣の目、学者の舌、兵士の剣」を兼ね備え、「流行の鏡、作法の型、注目の的」であった、万能の才能を持つ人物でした。彼は、理性と知性を重んじ、物事の本質を探求しようとする哲学者であり、言葉の力を巧みに操る詩人でもあります。
このルネサンス的な知性と、中世的な復讐の義務との間に引き裂かれることこそが、ハムレットの悲劇の核心の一つです。亡霊が命じるのは、血には血をという、単純で野蛮な復讐です。しかし、ハムレットの知性は、その命令を鵜呑みにすることを許しません。彼は、亡霊が本当に父の霊なのか、それとも自分を破滅させようとする悪魔なのかを疑います。彼は、行動する前に、確固たる証拠を求めます。この知的な誠実さが、彼の行動を遅らせる一因となります。
行動の遅延:優柔不断か、それとも戦略か
ハムレットの最も有名な謎は、「なぜ彼はすぐに行動しないのか」という、いわゆる「遅延」の問題です。この問いに対しては、古くから無数の解釈が提出されてきました。
19世紀のロマン主義の批評家たちは、ハムレットを、繊細で思索的な感受性の持ち主であり、過酷な現実世界で行動するにはあまりにも純粋すぎる人物と見なしました。ゲーテは、彼を「偉大な行為を課せられたが、それに見合うだけの強さを持たない魂」と評し、コールリッジは、彼の「巨大な知的能力」が、行動への意志を麻痺させてしまったのだと考えました。この解釈によれば、ハムレットは、考えすぎるあまりに行動できなくなる、近代的な知識人の原型となります。
一方、20世紀初頭の精神分析的な批評、特にアーネスト=ジョーンズの研究は、ハムレットの遅延の原因を、無意識の領域、すなわちエディプス=コンプレックスに求めました。この説によれば、ハムレットは、叔父クローディアスの中に、自らが無意識に抱いていた、父を殺して母を独占したいという欲望が実現された姿を見てしまいます。クローディアスを殺すことは、自分自身の内なる罪と向き合うことを意味するため、彼は無意識のうちにその行為をためらってしまう、というのです。この解釈は、物議を醸すものではありますが、ハムレットの母ガートルードに対する異常なまでの執着と、クローディアスへの行動麻痺を説明する、一つの強力な理論として、後世に大きな影響を与えました。
しかし、ハムレットの行動は、本当に「遅延」と呼べるのでしょうか。劇中の時間経過を注意深く見ると、彼が復讐の機会をうかがい、戦略的に行動している側面も見えてきます。彼は、狂気を装うことで、敵の警戒心を解き、自由に情報を収集しようとします。そして、彼は「劇中劇」という、極めて独創的で知的な方法を用いて、クローディアスの罪を公衆の面前(少なくともホレイショーの前)で暴き、自らの行動の正当性を確立しようと試みます。これは、単なる優柔不断な人物の行動とは言えません。
彼は、祈るクローディアスを殺す機会を一度は見送りますが、これも、単なるためらいではなく、「より完璧な復讐」を求める、冷徹な計算に基づいた判断でした。母の部屋でタペストリーの裏の人物を刺した時の、彼の衝動的な行動は、彼が行動力に欠けているわけではないことを証明しています。問題は、行動できないことではなく、どのような状況で、どのように行動すべきかという、倫理的・哲学的な問いに、彼が深く囚われていることにあるのかもしれません。
狂気の仮面:本物か、偽りか
ハムレットのもう一つの大きな謎は、彼の「狂気」です。彼は、第一幕の終わりで、狂気を装うと宣言します。ポローニアスやクローディアスを翻弄する際の、彼の機知に富んだ、しかし支離滅裂な言動は、明らかに計算された演技です。彼は、狂人の仮面をかぶることで、社会的な制約から解放され、危険な真実を語る自由を得ます。道化が許されるように、狂人もまた、王に対して無礼な口をきくことが許されるのです。
しかし、彼の狂気は、完全に偽りであると言い切れるでしょうか。父の亡霊との遭遇、母の裏切り、そして腐敗しきった宮廷という、極限的な状況に置かれた彼の精神が、実際に深刻な打撃を受けていたとしても不思議ではありません。特に、オフィーリアに対する彼の残酷な振る舞いや、母ガートルードを詰問する際の激しい激情は、単なる演技の域を超えているように見えます。
おそらく、真実は、本物と偽りの間にあります。ハムレットは、意図的に狂気を演じ始めますが、その役を演じ続けるうちに、彼自身の精神もまた、狂気の淵に近づいていったのかもしれません。彼は、狂気の仮面と、その下の素顔の区別が、時として自分でもつかなくなるような、危険な境界線の上を歩んでいたのではないでしょうか。シェークスピアは、人間の精神が、いかに脆く、容易に秩序を失いうるものであるかを、ハムレットの姿を通して描いているのです。
言葉の人、劇の人
ハムレットは、何よりもまず「言葉の人」です。彼の武器は剣である以上に、その舌です。彼は、独白によって自らの内面を深く掘り下げ、鋭い機知(ウィット)によって敵をやり込め、多義的な言葉遊び(パン)によって真意を隠します。彼は、言葉が持つ力を、誰よりも深く理解しています。言葉は、真実を明らかにする道具であると同時に、現実を覆い隠し、人々を欺くための武器にもなり得ます。
彼が「劇中劇」という策略を選ぶのも、偶然ではありません。彼は、演劇が、現実の模倣を通して、人間の良心に直接働きかける力を持つことを知っています。「芝居こそが、王の良心をとらえる罠だ」。彼は、劇作家であり、演出家であり、そして俳優として、自らの復讐のドラマを演出しようとします。
しかし、この劇的な世界観は、彼を現実の行動から遠ざける一因にもなります。彼は、自らの人生を、まるで観客席から眺めるかのように、客観視し、分析しすぎるところがあります。彼は、復讐の主人公という「役」を演じることに、どこか居心地の悪さを感じているようにも見えます。物語の終盤、彼が「覚悟こそが全てだ」と語り、神の摂理に身を委ねる心境に至った時、彼は初めて、自らの人生の脚本家であることをやめ、運命という大きなドラマの一人の俳優となることを受け入れたのかもしれません。
劇の主要テーマ:腐敗、欺瞞、そして実存
『ハムレット』は、その豊かなテクストの中に、数多くのテーマを織り込んでいます。ここでは、特に重要ないくつかのテーマについて、深く考察します。
腐敗と病のイメージ
劇全体を覆っているのは、腐敗、病、そして死のイメージです。「デンマークでは何かが腐っている」。このマーセラスの言葉は、劇の基調を象徴しています。この腐敗は、単なる道徳的なものではありません。それは、肉体的な腐敗として、繰り返し語られます。
クローディアスの罪は、「天まで悪臭を放つ」とされ、彼の近親相姦的な結婚は、健全な国家の肉体を蝕む病巣として描かれます。ハムレットは、世界全体を「雑草の生い茂る、手入れのされていない庭」と見なし、人間の肉体を「土くれの精髄」と呼びます。ポローニアスの死体は、物語の中で不気味な存在感を放ち、墓場の場面では、頭蓋骨が、人間の生の儚さと肉体の崩壊を、雄弁に物語ります。
この腐敗のイメージは、外見と内実の乖離というテーマと密接に結びついています。クローディアスの宮廷は、一見すると華やかで秩序立っていますが、その内側では、殺人、近親相姦、陰謀といった、おぞましい腐敗が進行しています。ハムレットの使命は、この美しい外見を剥ぎ取り、その下に隠された、腐った真実を暴き出すことなのです。
外見と現実:欺瞞と監視の世界
『ハムレット』の世界は、誰もが誰かを欺き、監視している、偽りに満ちた世界です。クローディアスは、慈悲深い王の仮面をかぶり、ガートルードは、悲しむ未亡人の仮面をかぶっています。ローゼンクランツとギルデンスターンは、友情の仮面をかぶったスパイであり、ポローニアスは、忠臣の仮面をかぶった、陰謀好きの盗聴者です。
そして、ハムレット自身もまた、「狂気」という仮面をかぶって、この欺瞞の世界に対抗しようとします。劇中には、隠れて何かを盗み聞きしたり、観察したりする場面が、繰り返し登場します。ポローニアスとクローディアスは、タペストリーの裏に隠れて、ハムレットとオフィーリアの会話を盗み聞きします。ポローニアスは、同じようにして、ハムレットとガートルードの会話を盗み聞きし、その結果、命を落とすことになります。
この劇では、「見る」という行為が、極めて重要な意味を持ちます。しかし、見えているものが、必ずしも真実であるとは限りません。宮廷の人々は、ハムレットの「狂気」という外見に惑わされ、その内面にある真実を見抜くことができません。ハムレットが仕掛ける「劇中劇」は、まさにこの「見ること」を通して真実を暴くための試みです。彼は、芝居という「偽り」の鏡を用いて、クローディアスの「真実」の顔を映し出そうとするのです。この複雑な構造は、何が現実で、何が虚構なのかという、私たちの認識そのものを問い直します。
復讐の倫理とその意味
『ハムレット』は、復讐悲劇というジャンルに属しますが、シェークスピアは、復讐という行為そのものを、単純に肯定しません。彼は、復讐がもたらす、倫理的なジレンマと、破壊的な結果を、冷徹に見つめています。
亡霊が命じる復讐は、個人的な名誉の回復を求める、血族の義務です。しかし、ハムレットは、その命令を実行することに、深い躊躇を覚えます。彼は、単に個人的な恨みを晴らすだけでなく、デンマーク全体の「関節が外れてしまった時」を正すという、より大きな使命を背負っていると感じています。彼は、私的な復讐者であると同時に、公的な正義の執行者でなければならないのです。
しかし、復讐のプロセスは、復讐者自身をも汚染し、破壊していきます。ハムレットは、復讐を遂行する過程で、ポローニアスという、直接の標的ではない人間を殺してしまいます。そして、この行為が、レアティーズという、もう一人の復讐者を生み出します。レアティーズは、ハムレットとは対照的に、ためらうことなく、卑劣な手段を用いてでも復讐を遂げようとする、行動的な復讐者として描かれます。
物語の最後には、復讐の連鎖が、悲劇的な結末をもたらします。ハムレットはクローディアスを殺し、復讐を遂げますが、その代償として、ガートルード、レアティーズ、そしてハムレット自身を含む、ほとんどの主要登場人物が命を落とします。宮廷は血の海と化し、デンマークの王位は、外国の王子であるフォーティンブラスの手に渡ります。復讐は、何も新しいものを生み出さず、ただ破壊と死をもたらすだけでした。シェークスピアは、復讐という行為の虚しさと、それがもたらす悲劇的な代償を、鮮烈に描き出しているのです。
死と実存:生きるべきか、死ぬべきか
『ハムレット』は、シェークスピアの全作品の中で、最も死の影が色濃い作品です。物語は、亡霊の出現から始まり、墓場の場面を経て、最終的な大虐殺で終わります。しかし、この劇における死は、単なる物語の結末ではありません。それは、ハムレットが、そして私たち観客が、向き合わざるを得ない、根源的な哲学的問いです。
「生きるべきか、死ぬべきか」という独白は、この問いを最も象徴的に示しています。ハムレットは、人生の苦難と、死という未知なるものへの恐れの間で、激しく揺れ動きます。彼は、死がもたらすかもしれない「眠り」に魅了されながらも、その眠りの先にある「夢」(死後の世界)を恐れます。
墓場の場面で、ヨリックの頭蓋骨を手に取ったハムレットは、死を、より具体的で、普遍的なものとして捉え直します。彼は、死が、身分や富、美醜に関わらず、全ての人間に等しく訪れる、避けられない運命であることを悟ります。この悟りは、彼を、個人的な復讐心という狭い視野から解放し、より大きな運命の流れの中に、自らを位置づけることを可能にします。
物語の終盤、彼がホレイショーに語る「覚悟こそが全てだ」という言葉は、彼の到達した、新たな心境を示しています。彼は、もはや自らの運命をコントロールしようとあがくのではなく、いつ訪れるか分からない死に対して、常に「準備ができている」状態でいること、すなわち、神の摂理を受け入れ、その中で誠実に生きることの重要性を悟ったのです。彼は、復讐を放棄したわけではありませんが、その遂行を、自らの意志を超えた、大きな力に委ねています。この受容の境地こそが、彼を、最終的な行動へと導き、悲劇的ながらも、英雄的な死を遂げさせるのです。
尽きることのない問い
『ハムレット』は、四世紀以上の時を経てもなお、その輝きを失うことのない、文学の奇跡です。それは、完璧に構築されたプロット、詩情豊かな言語、そして忘れがたい登場人物たちを持つ、第一級のエンターテイメントであると同時に、人間の存在の根源を問う、深遠な哲学書でもあります。
ハムレットという人物は、私たち一人一人の中に存在する、矛盾した衝動の集合体です。私たちは皆、彼のようになりたいと願い、彼のようになりたくないと恐れます。私たちは、彼の知性に憧れ、彼の憂鬱に共感し、彼の狂気に不安を覚え、そして彼の苦悩の中に、自らの姿を垣間見ます。
この戯曲が提示する問い、すなわち、私たちは不条理な世界でいかにして行動すべきか、偽りに満ちた社会でいかにして真実を生きるべきか、そして避けられない死を前にしていかにして意味を見出すべきか、という問いに、最終的な答えはありません。シェークスピアは、答えを与える代わりに、私たちに問いを投げかけ続けます。
『ハムレット』を読むこと、あるいは観ることは、この尽きることのない問いの迷宮へと足を踏み入れ、ハムレットと共に悩み、思索し、そして苦しむという体験です。そして、その体験を通して、私たちは、人間であることの複雑さ、その栄光と悲惨さを、改めて深く感じ入るのです。「残りは、沈黙だ」。ハムレットの最後の言葉は、全ての解釈と分析を超えて、この偉大な悲劇が、最終的には言葉では捉えきれない、深い沈黙と謎の中に帰していくことを示唆しているのかもしれません。
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