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ツォンカパとは わかりやすい世界史用語2422 |
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著作名:
ピアソラ
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ツォンカパとは
ツォンカパ(1357年–1419年)は、チベット仏教の歴史において極めて重要な人物です。 彼は卓越した学者、哲学者、そして精神的改革者として知られ、その活動はチベット仏教ゲルク派の創設へと繋がりました。 ゲルク派は「善律派」を意味し、その厳格な戒律遵守と学問的探求の重視によって、チベット仏教の主要な宗派の一つとして発展しました。 ツォンカパの教えは、顕教と密教の統合、分析的推論とヨーガ的瞑想の融合を特徴とし、その後のチベット仏教思想に永続的な影響を与えました。
誕生と幼少期
ツォンカパは1357年、チベット北東部のアムド地方、ツォンカと呼ばれる地域で生まれました。 彼の誕生は、多くの吉兆に彩られていたと伝えられています。 例えば、彼の母親は妊娠中に吉兆の夢を何度も見ました。 また、釈迦牟尼仏やグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)が、彼の誕生と功績を予言していたという伝承もあります。 釈迦牟尼の時代、ツォンカパの前世であった少年が仏陀に水晶の数珠を捧げ、代わりに法螺貝を受け取ったとされています。 仏陀はその少年が将来チベットに生まれ、ガンデン僧院を建立し、ラサの仏像に宝冠を捧げ、仏法の興隆に貢献すると予言し、スマティキールティ(ロサン・ダクパ)という未来の名前を与えました。
彼の生誕地では、へその緒が落ちた場所から白檀の木が生え、その葉にはそれぞれ仏陀の像が浮かび上がったという奇跡も語り継がれています。 この地には後にクンブム僧院が建立されました。 彼の父親はモンゴル系、母親はチベット系であり、遊牧民の家庭に生まれました。
幼い頃から並外れた知性と精神的能力を示したツォンカパは、3歳で高名なカダム派の僧侶、チョジェ・ドンドゥプ・リンチェンに師事し、仏教教育を受け始めました。 彼は読み書きを容易に習得し、幼少期から瞑想の実践にも励みました。 7歳の時、彼はチョジェ・ドンドゥプ・リンチェンから沙弥(見習い僧)としての戒を授かり、ロサン・ダクパという法名を与えられました。 この名前は彼の生涯を通じて使われることになります。 彼は師の指導のもと、16歳になるまでアムドで修行を続けました。
中央チベットでの修学
16歳の時、ツォンカパはさらなる知識を求めて故郷を離れ、中央チベット(ウー・ツァン)へと旅立ちました。 この旅は、彼の広範な学問的探求の始まりを告げるものでした。彼は特定の宗派に留まることなく、当時のチベットに存在した主要な仏教伝統のすべてから教えを受けようとしました。
中央チベットに到着した彼は、まずディクン・カギュ派の僧院で学び、そこでマハームドラー(大印)の伝統や菩提心、医学などを修めました。 17歳になる頃には、彼は熟練した医師になっていたと言われます。 その後、サキャ派、カダム派、ニンマ派など、様々な宗派の学問の中心地を巡り、当代随一の学者たちに師事しました。 彼の師の数は45人から50人以上にのぼるとされています。
彼の驚異的な記憶力と理解力は、すぐに周囲の注目を集めました。 彼は膨大な経典や論書をわずか数日で暗記し、その内容を深く理解したと伝えられています。 例えば、ニャータンにあるチョドラ・チェンポ・デワチェン僧院では、マイトレーヤ(弥勒)の著作、特に『現観荘厳論』とその注釈書を18日間で習得しました。 19歳までには、彼はすでに偉大な学者として認められていました。
彼の最も重要な師の一人が、サキャ派の偉大な学者であったレンダワ・シュヌ・ロドゥ(1349年–1412年)です。 ツォンカパはレンダワから中観哲学をはじめとする多くの教えを受け、二人の間には深い師弟関係が築かれました。
ツォンカパの学習範囲は仏教哲学にとどまらず、認識論(プラマーナ)、密教(ヴァジュラヤーナ)、詩作、占星術など多岐にわたりました。 彼は、インドの仏教論理学者であるディグナーガ(陳那)やダルマキールティ(法称)の認識論的伝統、アサンガ(無著)の唯識思想、そしてナーガールジュナ(龍樹)やチャンドラキールティ(月称)の中観哲学を統合し、壮大な知的体系を構築しようとしました。
哲学思想の確立
ツォンカパの哲学の核心は、空(シューニャター)の理解にあります。 彼は、インドの中観派の哲学者ナーガールジュナと、その解説者であるチャンドラキールティの思想を最も正しい見解と見なしました。 彼は、すべての現象(法)は、それ自体で独立して存在する固有の自性(スヴァバーヴァ)を持たず、他のものに依存して生起する(縁起)と主張しました。 この「自性による空」の理解は、彼の思想体系全体の基盤をなしています。
ツォンカパは、ナーガールジュナの思想を解釈する上で、当時のチベットに存在した二つの主要な学派、すなわちプラーサンギカ派(帰謬論証派)とスヴァータントリカ派(自立論証派)を区別しました。 彼は、チャンドラキールティに代表されるプラーサンギカ派の解釈こそがナーガールジュナの真意を正確に伝えていると主張しました。 プラーサンギカ派は、論敵の主張が内包する矛盾を指摘すること(帰謬論証)によって、自性の存在を否定します。 これに対し、スヴァータントリカ派は、自立した論証を用いて空を証明しようと試みます。ツォンカパは、後者のアプローチは、究極的には何らかの自性を認めることにつながりかねないと批判しました。
また、ツォンカパは、ドルポパ・シェーラブ・ギャルツェン(1292年–1361年)によって提唱された「他空」の見解を明確に否定しました。 他空説は、究極的な実在は、世俗的な現象からは空であるが、それ自体は空ではないと主張します。 これに対してツォンカパは、「自空」の立場をとり、究極的な真理も含め、すべての現象は自性から空であると説きました。
しかし、ツォンカパの空の理解は、虚無主義(ニヒリズム)とは一線を画します。 彼は、すべてのものが固有の実体を持たないからといって、何も存在しないわけではないと強調しました。 現象は、世俗的なレベル(世俗諦)においては、依存的に、名目上存在していると彼は考えました。 つまり、私たちの認識や概念的な名付けと相互に依存して現象は現れるのであり、そのようにして存在する限りにおいて、世俗的な真理は有効であるとしました。 このようにして彼は、空の徹底的な理解と、世俗における知識や倫理の有効性を両立させる道筋を示したのです。 この二諦(世俗諦と勝義諦)の精緻な分析は、彼の哲学の最も重要な貢献の一つとされています。
主要な著作
ツォンカパは、その生涯を通じて膨大な著作を残しました。彼の著作は18巻に及ぶとされています。 中でも最も有名で影響力のある作品が、『菩提道次第大論』(ラムリム・チェンモ)です。 1402年頃に完成したこの著作は、悟りに至るための段階的な修行道(ラムリム)を体系的に解説したものです。 このテキストは、インドのアティーシャ(982年–1054年)が創始したカダム派のラムリムの伝統を継承し、発展させたものです。 『菩提道次第大論』は、仏道を志すすべての段階の修行者のために、道徳的規律、瞑想、そして智慧の育成という三つの主要な側面を統合した実践的な手引きとなっています。
もう一つの主要な著作は、『秘密道次第大論』(ガクリム・チェンモ)で、1405年に完成しました。 これは密教の実践に関する包括的な解説書です。
さらに、彼の哲学的洞察の頂点を示す作品として、『了義未了義善説心髄』(レクシェー・ニンポ)が挙げられます。 1407年に書かれたこの著作は、仏陀の教えのうち、文字通り解釈すべき「了義教」と、解釈が必要な「未了義教」を区別するための基準を論じた、仏教解釈学に関する傑作です。
また、ナーガールジュナの主著『中論』に対する注釈書である『中論註「理性の海」』(リクペ・ギャツォ、1408年完成)や、チャンドラキールティの『入中論』への注釈書である『入中論疏「密意開明」』(ゴンパ・セル、1418年完成)も、彼の中観思想を理解する上で不可欠な文献です。 これらの著作を通じて、ツォンカパは自身の哲学体系を精緻化し、後世の学者たちのための強固な基盤を築きました。
ゲルク派の創設と四大功績
ツォンカパの活動は、単なる学問的研究にとどまりませんでした。彼は、当時衰退しつつあったチベット仏教の戒律の重要性を再確認し、僧院制度の改革に乗り出しました。 彼の改革運動は、新しい宗派、ゲルク派(善律派)の形成へと結実します。
彼の生涯における特に重要な活動は「四大功績」として知られています。
第一の功績は、ジンジ・リンにある弥勒菩薩像の修復です。 これは、彼が弟子たちと共に行った最初の大きな事業でした。
第二の功績は、1409年にラサでモンラム・チェンモ(大祈願祭)を創始したことです。 これは、釈迦牟尼仏を讃え、すべての衆生の幸福を祈願するために、チベットの新年に行われる大規模な法会であり、チベット全土から僧侶や信者が集まる重要な行事となりました。
第三の功績は、僧侶の戒律に関する広範な教えを説いたことです。 彼は他の師たちと共に数ヶ月にわたって戒律の重要性を説き、僧侶の道徳的純粋性を回復させることに尽力しました。
そして第四の功績が、1409年にラサの北東約40キロの地にガンデン僧院を建立したことです。 ガンデン僧院は、ゲルク派の最初の、そして最も重要な僧院となり、その後のゲルク派の発展の拠点となりました。 「ゲルク」という名称自体が、「ガンデン・ルク」(ガンデンの伝統)の短縮形であると言われています。 ガンデン僧院の建立は、ゲルク派という新しい宗派の制度的な始まりを象徴する出来事でした。 ツォンカパ自身が初代のガンデン・ティパ(ガンデン僧院の座主、ゲルク派の教主)を務めました。
弟子たちと宗派の拡大
ツォンカパの死後、彼の教えは優れた弟子たちによって受け継がれ、ゲルク派は急速にチベット全土に広がりました。 彼の主要な弟子の中でも特に重要なのが、ギャルツァプ・ジェ(1364年–1432年)とケードゥプ・ジェ(1385年–1438年)です。
ギャルツァプ・ジェは、もともとサキャ派の優れた学者でしたが、ツォンカパに出会ってその弟子となり、最も親しい弟子の一人となりました。 ツォンカパの逝去後、彼は第二代のガンデン・ティパに就任し、師の教えを忠実に守り広めました。
ケードゥプ・ジェもまた、サキャ派で学んだ後、ツォンカパの弟子となった博識な学者でした。 彼はギャルツァプ・ジェの後を継いで第三代のガンデン・ティパとなり、ゲルク派の教義を体系化し、洗練させる上で重要な役割を果たしました。 彼は後に初代パンチェン・ラマとして認定されています。
ツォンカパの他の弟子たちも、次々と重要な僧院を建立しました。ジャムヤン・チューヂェ(1379年–1449年)は1416年にデプン僧院を、チャンチェン・チュージェ(1354年–1435年)は1419年にセラ僧院を建立しました。 これら二つの僧院は、ガンデン僧院と共にゲルク派の「三大寺院」として知られ、世界最大級の僧院大学へと発展しました。
これらの僧院を拠点として、ゲルク派は15世紀末までにはチベット高原全域に広がり、西チベットから東チベットのカムやアムドに至るまで、その伝統を掲げる僧院が数多く設立されました。
晩年と逝去
ツォンカパは1419年、ガンデン僧院にて62歳でその生涯を閉じました。 彼の遺体はミイラ化され、金と銀で装飾された霊塔に納められ、ガンデン僧院に安置されました。 彼の逝去は終わりではなく、彼の教えと遺産が永続的に受け継がれていく始まりと見なされています。
ツォンカパは、その生涯を通じて、学問的探求と厳格な実践、そして僧院制度の改革という三つの側面を完璧に統合した人物でした。 彼は、個人的な奇跡の顕示を戒め、代わりに純粋な仏法の研究と実践、そして道徳的な生き方の模範を示すことに専念しました。 彼の創設したゲルク派は、その後のチベットの宗教的、そして時には政治的な歴史において中心的な役割を担うことになり、ダライ=ラマの法脈もこのゲルク派から生まれています。
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