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源氏物語 桐壺 その13 命婦帰参2 |
著作名:
春樹
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あくまでもイメージを掴む参考にしてください。
などのたまはす。かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思ほすもいとかひなし。
「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」
絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。
朝夕の言種に、「翼をならべ、枝を交はさむ」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。
風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こし召す。このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。
「雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿」
思し召しやりつつ、灯火をかかげ尽くして起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、「明くるも知らで」と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。
ものなども聞こし召さず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。
すべて、近うさぶらふ限りは、男女、「いとわりなきわざかな」と言ひ合はせつつ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。
命婦は北の方から贈られた物を帝の前に並べました。
帝は、『これが亡くなった人の住居を探し当てたという証拠であったのならばなぁ』とお思いになりました。
『更衣の魂を探していけるような幻術士がいてくれればなぁ』
絵でみる楊貴妃は、どんなに名手が描いた物であっても、絵の表現には限りがあって、それほどすぐれた顔を持ってはいません。大液の芙蓉や未央の柳に楊貴妃はそっくりと言われています。その美しさと唐の装いは淡麗でそれらを彷彿とさせたのでしょうが、更衣の美しく妖艶であった姿は、花の色にも鳥の声にも喩えようのないものでした。
二人は、朝夕の口癖に「天に生まれれば比翼の鳥に、地に生まれれば連理の枝になりましょう」と言って永遠の愛を誓っていましたが、一人だけ先に旅立たれてしまったことを帝は恨めしく思わないわけにはいきませんでした。
風の音や虫の音にも悲しさをお感じになられるのに、弘徽殿の女御(一の宮の母君)は久しく帝の側にもいらっしゃることなく、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをしていらっしゃるのを帝は不愉快に思っていました。
このころの帝の気持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども、皆弘徽殿の楽音には、はらはらする思いでいました。弘徽殿は負けず嫌いな人で、更衣の死などはいっさい眼中にありませんという気持ちをわざと周りに見せているようでもありました。
月も落ちてしまいました。
「宮中にいても、涙で見えなくなってしまっている秋の月は、更衣のご実家ではなおさら見えにくいことでしょう」
帝は、故人の家のことを思いながらまだ起きていました。右近衛府の士官の声が聞こえるということは、丑の刻(午前二時)になったのでしょう。人目を気にされてお部屋に戻られてからも、ぐっすりと眠ることはできない様子でした。朝になってもまた、更衣と一緒にいたころは夜が更けるのも気づかないで寝ていたのに、と思い出しては朝の公務も怠ることもあります。食欲もありません。朝食は、簡単なものはお召になられますが、大床子の料理などには全く手をつけていませんでした。給仕や側近の者たちは、皆この様子を見ては嘆いています。
「前世からの縁が深かったのでしょうか。帝は、多くの人の非難や恨みも気にされないで、更衣のこととなると正しい判断も失っているようでした。亡くなってからは亡くなってからで、昨今のように公務まで怠ってしまっているようでは、困ったものです。」と中国の歴朝の例まで引き合いに出して嘆く者もいたそうです。
【源氏物語 原文】
などのたまはす。かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思ほすもいとかひなし。
「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」
絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。
朝夕の言種に、「翼をならべ、枝を交はさむ」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。
風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こし召す。このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。
「雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿」
思し召しやりつつ、灯火をかかげ尽くして起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、「明くるも知らで」と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。
ものなども聞こし召さず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。
すべて、近うさぶらふ限りは、男女、「いとわりなきわざかな」と言ひ合はせつつ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。
【現代語訳】
命婦は北の方から贈られた物を帝の前に並べました。
帝は、『これが亡くなった人の住居を探し当てたという証拠であったのならばなぁ』とお思いになりました。
『更衣の魂を探していけるような幻術士がいてくれればなぁ』
絵でみる楊貴妃は、どんなに名手が描いた物であっても、絵の表現には限りがあって、それほどすぐれた顔を持ってはいません。大液の芙蓉や未央の柳に楊貴妃はそっくりと言われています。その美しさと唐の装いは淡麗でそれらを彷彿とさせたのでしょうが、更衣の美しく妖艶であった姿は、花の色にも鳥の声にも喩えようのないものでした。
二人は、朝夕の口癖に「天に生まれれば比翼の鳥に、地に生まれれば連理の枝になりましょう」と言って永遠の愛を誓っていましたが、一人だけ先に旅立たれてしまったことを帝は恨めしく思わないわけにはいきませんでした。
風の音や虫の音にも悲しさをお感じになられるのに、弘徽殿の女御(一の宮の母君)は久しく帝の側にもいらっしゃることなく、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをしていらっしゃるのを帝は不愉快に思っていました。
このころの帝の気持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども、皆弘徽殿の楽音には、はらはらする思いでいました。弘徽殿は負けず嫌いな人で、更衣の死などはいっさい眼中にありませんという気持ちをわざと周りに見せているようでもありました。
月も落ちてしまいました。
「宮中にいても、涙で見えなくなってしまっている秋の月は、更衣のご実家ではなおさら見えにくいことでしょう」
帝は、故人の家のことを思いながらまだ起きていました。右近衛府の士官の声が聞こえるということは、丑の刻(午前二時)になったのでしょう。人目を気にされてお部屋に戻られてからも、ぐっすりと眠ることはできない様子でした。朝になってもまた、更衣と一緒にいたころは夜が更けるのも気づかないで寝ていたのに、と思い出しては朝の公務も怠ることもあります。食欲もありません。朝食は、簡単なものはお召になられますが、大床子の料理などには全く手をつけていませんでした。給仕や側近の者たちは、皆この様子を見ては嘆いています。
「前世からの縁が深かったのでしょうか。帝は、多くの人の非難や恨みも気にされないで、更衣のこととなると正しい判断も失っているようでした。亡くなってからは亡くなってからで、昨今のように公務まで怠ってしまっているようでは、困ったものです。」と中国の歴朝の例まで引き合いに出して嘆く者もいたそうです。
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