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ソグド人とは わかりやすい世界史用語750
著作名: ピアソラ
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ソグド人とは

ソグド人は、中央アジアの歴史において重要な役割を果たした古代イラン系の民族です。彼らの故郷であるソグディアナは、現在のウズベキスタンやタジキスタンに位置し、アムダリヤ川とシルダリヤ川の間に広がっていました。ソグディアナは、アケメネス朝ペルシア帝国の一部であり、ダレイオス大王のベヒストゥン碑文にも記されています。

ソグド人は、紀元前6世紀から紀元11世紀にかけて、様々な帝国や王国の支配下にありました。彼らは、アケメネス朝、セレウコス朝、グレコ・バクトリア王国、クシャーナ朝、サーサーン朝、エフタル朝、西突厥可汗国、そしてイスラム教徒によるトランスオクシアナ征服など、多くの支配者の下で生活していました。特に、アレクサンドロス大王による征服(紀元前328年)や、イスラム教への改宗(8世紀)などが重要な出来事として挙げられます。



ソグド人の都市国家は、政治的には統一されていませんでしたが、サマルカンドを中心に栄えていました。ソグド語は東イラン語群に属し、中央アジアで広く話されていましたが、現在ではヤグノビ語としてタジキスタンのヤグノビ人によって話されているのみです。ソグド語は、第一突厥可汗国の宮廷言語の一つとしても使用されていました。

ソグド人は、シルクロードの交易において重要な役割を果たしました。彼らは商人として、中国からビザンティン帝国までの広範な地域を旅し、商品や文化の交流を促進しました。ソグド人の商人は、絹、ガラス、翡翠、ルバーブなどの貴重な品々を運び、シルクロードの経済を支えました。また、彼らは多言語を操り、異なる文化圏を結びつける役割を果たしました。

宗教的には、ソグド人は初めはゾロアスター教、マニ教、仏教、ネストリウス派キリスト教などを信仰していましたが、8世紀のイスラム教徒による征服以降、徐々にイスラム教に改宗しました。サーマーン朝の終焉(999年)までには、ソグド人のイスラム教への改宗はほぼ完了し、ソグド語も新ペルシア語に取って代わられました。

ソグディアナの地理的な位置は、バクトリアの北、ホラズムの東、カンジュの南東に位置し、オクサス川(アムダリヤ川)とジャクサルテス川(シルダリヤ川)の間に広がっていました。この地域は、肥沃なゼラフシャン川の谷を含み、現在のウズベキスタンのサマルカンドやブハラ、タジキスタンのスグド地方に相当します。

ソグド人の文化は、視覚芸術や建築においても重要な影響を与えました。彼らの芸術作品は、中国の唐王朝時代(618–907年)においても高く評価され、ソグド人の音楽家や芸術家は中国の宮廷でも活躍しました。また、ソグド人の墓には、彼らの豊かな文化や宗教的信仰が反映された美しい彫刻や絵画が施されています。

ソグド人の影響は、現代においても続いています。彼らの商業活動や文化交流は、シルクロードを通じて広がり、今日のグローバルな貿易や文化交流の基盤を築きました。ソグド人の歴史や文化を理解することは、中央アジアの歴史やシルクロードの重要性を再認識する上で非常に重要です。

このように、ソグド人は中央アジアの歴史において重要な役割を果たし、彼らの商業活動や文化交流は、シルクロードを通じて広がり、今日のグローバルな貿易や文化交流の基盤を築きました。

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