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九品中正とは わかりやすい世界史用語558
著作名: ピアソラ
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九品中正とは

九品中正(きゅうひんちゅうせい)制度は、中国の古代における官僚制度の一つであり、特に三国時代の魏に始まり、隋初まで使用されました。この制度は、官僚を九つの九品に編成し、彼らの能力や郷土の評判、道徳的な品格に基づいて評価するものでした。

背景と起源

九品中正制度は、漢代の郷挙里選を基にしています。漢代では、地方の有力者や官僚が優れた人材を推薦し、中央政府がそれを採用する形が一般的でした。この推薦制度は、孝廉(こうれん)や茂才(もさい)といった称号で知られ、道徳的な品格や才能に基づいて評価されました。

魏の時代に、陳羣(ちんぐん)という官僚がこの推薦制度を改革し、九品中正制度を提案しました。この制度は、官僚の選抜と評価を体系化するために作られました。具体的には、九つのランクを設け、それぞれのランクに応じて官僚を評価し、中央政府が任命する「中正官」がその評価を行うというものです。



制度の構造

九品中正制度は、以下のような構造を持っていました:

九つの管制:官僚は九つのランクに分類され、最上位が一品、最下位が九品とされました。このランクは、官僚の道徳的な品格、行政能力、そして家族の貢献度に基づいて評価されました。
中正官:中央政府が任命する中正官が、地方の官僚や候補者を評価し、ランクを付けました。中正官は、地方の有力者や官僚からの推薦を受け、候補者の評価を行いました。
候補者の評価:候補者は、道徳的な品格、行政能力、そして家族の貢献度に基づいて評価されました。特に、候補者の父親のランクが候補者の評価に影響を与えることがありました。

制度の影響と評価

九品中正制度は、官僚の選抜と評価を体系化することで、中央政府の権力を強化し、地方の有力者の影響力を抑えることを目的としていました。しかし、実際には、中央政府と地方政府の間で評価権を巡る対立が続きました。

また、この制度は、家族の背景や社会的な地位が評価に大きく影響するため、貴族階級の固定化を助長する結果となりました。特に、魏晋南北朝時代(220-589年)には、貴族階級が政治を支配するようになり、九品中正制度はその一因とされています。

制度の変遷と廃止

九品中正制度は、魏の時代に始まり、晋(265-420年)、南北朝(420-589年)、隋(581-618年)、唐(618-907年)、そして宋代まで使用されました。しかし、唐代以降、科挙制度が導入されると、九品中正制度は次第に廃れていきました。科挙制度は、官僚の選抜を試験に基づいて行うものであり、より公平で実力主義的な制度とされました。

九品中正制度は、中国の古代における官僚制度の一つであり、官僚の選抜と評価を体系化するために作られました。この制度は、中央政府の権力を強化し、地方の有力者の影響力を抑えることを目的としていましたが、実際には貴族階級の固定化を助長する結果となりました。唐代以降、科挙制度の導入により、九品中正制度は次第に廃れていきました。

このように、九品中正制度は中国の歴史において重要な役割を果たしましたが、その影響は時代とともに変化していきました。

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