manapedia
更新日時:
大月氏とは わかりやすい世界史用語454
著作名: ピアソラ
1,333 views
大月氏とは

大月氏は、古代中国の文献に登場する中央アジアの地域の名前で、現在のアフガニスタン北部、およびタジキスタン南部とウズベキスタンの一部を指していました。
この地域は、紀元前3世紀にはギリシャ・バクトリア王国の一部であり、その後、様々な民族や帝国の支配を受けました。中国の歴史書『史記』によると、大月氏は豊かな市場を持ち、南中国からの多種多様な商品が取引されていたと記されています。探検家の張騫が紀元前126年に訪れた際には、大月氏はすでに主要な王がおらず、その地域は遊牧民族の月氏によって支配されていたと伝えられています。

大月氏の名前は、中国の漢代に西方の遠い国を指すために使われたもので、おそらくギリシャ・バクトリア王国の拡大に伴う最初の接触の結果として登場しました。また、大月氏は、カスピ海南東岸に住むダハエ族と混同されることもあったようです。
大月氏の地域は、古代ペルシャのアケメネス朝やセレウコス朝の一部であり、紀元前254年から142年にかけては、ヘレニズム文化の影響を受けた独自の王国が存在していました。この時期の首都はバクトラ(現在のバルフ)でした。この王国は広範囲にわたる地域を支配し、インダス平原にまで影響を及ぼしていました。匈奴に追われイリ地方に移り、更に烏孫に追われ西方で建国しました。

しかし、紀元前167年にセレウコス朝に占領され、その後もパルティアによって何度か支配されました。紀元前130年頃には、月氏が西進してこの地域を征服し、中国の旅行者張騫が訪れた時には、月氏がバクトリア王国を支配下に置いていたことが確認されています。しかし、漢との同盟は断りました。



このテキストを評価してください。
役に立った
う~ん・・・
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。






世界史