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デモティック(民衆文字)とは 世界史用語163
著作名: ピアソラ
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デモティック(民衆文字)とは

デモティック(民衆文字)とは、古代エジプトで使われた筆記用の文字の一種で、ヒエログリフやヒエラティックと関係があります。デモティックは紀元前7世紀から紀元5世紀までの約1200年間にわたって使用されました。デモティックは、エジプト語の表記法としてだけでなく、ギリシャ語やアラビア語などの言語に影響を与えたり、コプト文字やメロエ文字などの文字の起源となったりもしました。デモティックは、ロゼッタ・ストーンやカノプス碑文などの重要な史料にも刻まれています。デモティックは、エジプトの歴史や文化において大きな役割を果たした文字です。

デモティックの歴史と特徴について、詳しく説明します。デモティックは、古代エジプトの文字の中で最も簡略化された形式で、ヒエログリフやヒエラティックよりも速く書くことができました。デモティックは、エジプト語の音声体系や文法にも合わせて変化しました。デモティックは、主にパピルスや陶器の破片(オストラコン)に書かれましたが、石碑や神殿の壁に刻まれたものもあります。デモティックは、行政や法律、商業、文学、宗教などのさまざまな分野で使用されました。デモティックは、エジプトの政治や社会の変遷にも影響を受けました。デモティックは、大きく分けて、前期デモティック、中期デモティック、後期デモティックの3つの時期に分けられます。

前期デモティックは、紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて使用された文字で、ヒエラティックから派生しました。前期デモティックは、主に下エジプトで発展し、サッカラのセラペウムから出土した石碑に多く見られます。前期デモティックは、エジプトの再統一を果たした第26王朝や、ペルシアの支配下にあった第27王朝の時代に、公式の文書に使用されました。前期デモティックは、ヒエログリフやヒエラティックと並行して使われましたが、宗教や文学の分野ではまだ使用されませんでした。

中期デモティックは、紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて使用された文字で、プトレマイオス朝の時代にあたります。中期デモティックは、前期デモティックよりもさらに簡略化され、文字の数も減りました。中期デモティックは、文学や宗教の分野にも広がり、デモティックの地位が高まりました。中期デモティックは、エジプトの公用語としてのギリシャ語の影響を受け、多くのギリシャ語の単語や構造が借用されました。中期デモティックは、ロゼッタ・ストーンやカノプス碑文などの有名な史料にも刻まれています。

後期デモティックは、紀元前1世紀から紀元5世紀にかけて使用された文字で、ローマ帝国の時代にあたります。後期デモティックは、中期デモティックよりもさらに簡略化され、文字の数も減りました。後期デモティックは、公的な場では使われなくなり、文学的なテキストに限られるようになりました。後期デモティックは、コプト文字の発展に影響を与えましたが、コプト文字に取って代わられるようになりました。後期デモティックの最後の使用例は、紀元452年にフィラエ神殿の壁に刻まれた落書きです。

デモティックの文字と翻字について、簡単に説明します。デモティックは、単字と呼ばれるアルファベットの文字セットを持ち、個々の音素を表現することができました。デモティックの単字は、ヒエログリフやヒエラティックから派生したもので、コプト文字やメロエ文字にも引き継がれました。

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