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【戊辰戦争、江戸無血開城、五箇条の誓文、版籍奉還、廃藩置県】 受験日本史まとめ 53 |
著作名:
Cogito
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明治維新
大政奉還後、新政府側は徳川慶喜を政権に加えず、辞官納地を求めました。この新政府による徳川氏への対応に、旧幕臣や会津・桑名藩士たちは憤激しました。一度大坂に引き上げた徳川慶喜は、1868年(明治元年)1月に旧幕臣や会津・桑名藩兵を率い上京しようとしたところ、これを迎え撃った薩長両藩を中心とする新政府軍との間に鳥羽・伏見の戦いがおこり、戊辰戦争がはじまりました。
鳥羽・伏見の戦いに勝利した新政府軍は、錦の御旗を掲げ朝敵と戦うという姿勢をとり、各地で旧幕府軍を打ち破り、江戸へ引き上げた徳川慶喜を征討する軍を進めました。新政府軍を率いた西郷隆盛は、江戸城攻撃準備を進めていましたが、イギリス公使パークスとその通訳アーネスト・サトウが斡旋をつとめ、1868年(明治元年)3月、新政府側代表の西郷隆盛と、旧幕府側代表の勝海舟の間で江戸開城に関する交渉が行われました。パークスは、内乱が長期化した際、両国の貿易発展に悪影響があるとして江戸武力攻撃に反対し、西郷隆盛もこの意向を聞いて態度を軟化させました。また、勝海舟も会談にあたってインドや清が内乱によって国内が混乱し、西欧列強の植民地となったことを説明し、同年4月、平和の中で江戸城を明け渡す江戸城無血接収が実現し、多くの民衆の命が救われました。彰義隊など一部の旧幕府軍が上野に立てこもりましたが、大村益次郎が指揮する新政府軍により1日で鎮圧されました。また、西郷隆盛の指示により赤報隊を指揮した相楽総三は、年貢半減と引き換えに新政府軍の先鋒として戦いましたが、財政難の新政府側はこれを否定し、相楽一派は「偽官軍」として処刑されました。
しかし、長年新撰組などを率いて京都守護職を全うし、尊王攘夷派や討幕派を取り締まっていた会津藩は新政府への抵抗を続け、仙台藩など東北諸藩も奥羽越列藩同盟を結成し、会津藩を支援しました。新政府軍はこれを攻撃し、激戦のすえ同年9月に会津藩を降伏させ、東北地方を平定しました。そして、翌年1869年(明治2年)5月には、旧幕府海軍を率いて箱館の五稜郭にたてこもり抵抗していた榎本武揚らも降伏し、戊辰戦争は終結しました。
戊辰戦争は徳川幕府の最後の抵抗の戦いでしたが、アメリカ南北戦争の死者62万人、フランスのパリ・コミューンの死者3万人と、同時期世界で起こった内戦と比較すると、犠牲者は8240名と比較的小規模で済んだ内戦でした。これは、列強の外圧を新政府・旧幕府の双方が理解し、植民地化の危機を回避し、国家独立を守ろうとする意識が高かったためだといわれています。
新政府発足
1868年(明治元年)1月、新政府は条約締結国に対し、天皇を主権者とする新政権の成立を通告しました。諸外国もこれを承認し、新政府は国内に向け開国和親の布告を行い、同年3月14日に旧幕府征討軍が江戸に向かっているときに、京都御所紫宸殿において、明治天皇が群臣を従え神々に誓約するという形で五箇条の誓文を発し、新しい政治方針を示しました。五箇条の誓文は、由利公正・福岡孝弟が起草し、木戸孝允が修正を加え完成しました。原文では、「列侯会議ヲ興シ」という文が「広ク会議ヲ興シ」に訂正されました。
五箇条の誓文が発せられたことで、天皇中心の新しい政治が始まりましたが、翌日五傍の掲示では、五倫の道や徒党・強訴禁止、キリスト教禁止など、旧幕府の儒教に基づく政策を引き継ぎました。キリスト教禁止は、その後列強の反対にあい撤回されました。また、同年4月に、政体書を発布し誓文の内容を官制に具体化させ、新政府の組織が出来上がりました。政体書では、中央集権化とアメリカ憲法を元にした立法・司法・行政の三権分立の体裁が整えられました。
1868年(明治元年)新政府は7月に江戸を東京に改称し、9月に慶応4年から元号を明治に改め、天皇一代の間年号を一つとする一世一元の制をたてました。10月には明治天皇(1867~1912)が東京行幸を行い、1869年(明治2年)には政府も東京に移り東京遷都を断行し、旧来の政治を改める意思を示しました。こうした一連の出来事は、当時“御一新”と呼ばれ、新しい時代の到来が期待されました。この幕末から明治初年までの一連の変革を総称して、明治維新といいます。維新とは中国の古典『詩経』のなかに出てくる古語であるとされています。
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