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枕草子 原文全集「五月の御精進のほど」其の一 |
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著作名:
古典愛好家
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五月の御精進のほど、職(しき)におはしますころ、塗籠(ぬりごめ)の前の二間なる所を、ことにしつらひたれば、例様ならぬもをかし。
一日より雨がちに、くもりすぐす。つれづれなるを、
「公郭(ほととぎす)の声たづねに行かばや」
といふを、我も我もと出で立つ。賀茂の奥に、なにさきとかや、たなばたの渡る橋にはあらで、にくき名ぞ聞こえし
「その渡りになむ公郭なく」
と人のいへば
「それは日ぐらしなり」
といふ人もあり。そこへとて、五日のあしたに宮司(みやづかさ)に車の案内こひて、北の陣より、五月雨はとがめなきものぞとて、さしよせて四人ばかり乗りていく。うらやましがりて、
「なをいまひとつして、同じくは」
などいへど、まなと仰せらるれば、聞き入れず、なさけなきさまにていくに、馬場といふ所にて人おほくてさはぐ。
「なにするぞ」
と問へば
「手番(てつが)ひにて、まゆみ射るなり。しばし御覧じておはしませ」
とて、車とどめたり。
「左近中将、みなつき給ふ」
といへど、さる人も見えず。六位などたちさまよへば、
「ゆかしからぬことぞ、はやくすぎよ」
といひて、いきもてゆく。道も祭りのころ、思ひいでられてをかし。
かくいふ所は、明順(あきのぶ)の朝臣(あそん)の家なりける。
「そこもいざ見む」
といひて、車よせておりぬ。田舎だち、ことそぎて、馬のかたかきたる障子、網代屏風、三稜草(みくり)の簾など、殊更にむかしの事をうつしたり。屋のさまもはかなだち、廊めきて、はし、ぢかにあさはかなれどをかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりになきあひたる公郭の声を、くちをしう御前にきこしめさせず、さばかりしたひつる人々を、と思ふ。所につけては、かかることをなむ見るべきとて、稲というものをとりいでて、わかき下衆どもの、きたなげならぬ、そのわたりの家のむすめなどひきもて来(き)て、五六人してかこせ、また、見もしらぬくるべくもの、二人してひかせて歌うたはせなどするを、めづらしくて笑ふ。公郭の歌よまむとしつる、まぎれぬ。
唐絵にかきたる懸盤してものくはせたるを、見入るる人もなければ、家のあるじ
「いとひなびたり。かかる所に来ぬる人は、ようせずは、あるじ逃げぬばかりなど、せめいだしてこそまゐるべけれ。むげにかくては、その人ならず」
といひてとりはやし、
「この下蕨(わらび)は手づからつみつる」
などいへば、
「いかでか、さ、女官などのやうに着きなみてはあらむ」
などわらへば
「さらば、とりおろして。例のはひぶしにならはせ給へる御前たちなれば」
とて、まかなひさわぐ程に、
「雨ふりぬ」
といへば、急ぎて車にのるに、
「さて、この歌は、ここにてこそよまめ」
などいへば、
「さはれ、道にても」
などいひて皆のりぬ。
卯の花のいみじうう咲きたるをおりて、車の簾、かたはらなどにさしあまりて、をそひ、むねなどに、ながき枝をふきたるやうにさしたれば、ただ卯の花の垣根を牛にかけたるぞと見ゆる。ともなる男どももいみじう笑ひつつ、
「ここまだし、ここまだし」
とさしあへり。
人もあはなむと思ふに、さらにあやしき奉仕、下衆のいふかひなきのみ、たまさかに見ゆるに、いと口をしくてちかく来ぬれど、
「いとかくてやまむは。この車のありさまぞ人に語らせてこそやまめ」
とて、一条殿ほどにとどめて、
「侍従殿やおはします。公郭(ほととぎす)の声ききて今なむかえる」
といはせたる。つかひ、
「『ただいままゐえる。しばし、あが君』となむのためへる。侍にまひろげておはしつる、急ぎたちて、指貫たてまつりつ」
といふ。
「待つべきにもあらず」
とてはしらせて、土御門ざまへやるに、いつのまにか装束(さうぞ)きつらむ、おびは道のままにゆひて、
「しばし、しばし」
とおひくる、供に侍三四人ばかり、ものもはかではしるめり。
「とくやれ」
といとどいそがして、土御門にいきつきぬるにぞ、あへぎまどひておはして、この車のさまをいみじう笑ひたまふ。
「現(うつ)の人の乗りたるとなむ、さらに見えぬ。なほおりて見よ」
など笑ひ給へば、供にはしりつる人、ともに興じ笑ふ。
「歌はいかが。それきかむ」
とのたまへば、
「今御前に御覧ざせて後こそ」
などいふ程に、雨まことふりぬ。
「などか、こと御門御門のやうにもあらず、土御門しもかうべもなくしそめけむと、今日こそいとにくけれ」
などいひて、
「いかでかえらむとすらむ。こなたざまはただをくれじと思ひつるに、一目もしらずはしられつるを、奥いかむことこそ、いとすさまじけれ」
とのたまへば、
「いざたまへかし、内裏へ」
といふ。
「烏帽子にてはいかでか」「とりにやりたまへかし」
などいふに、まめやかにふれば、かさもなき男ども、ただひきにひきいれつ。一条殿よりかさ持て来たるをささせて、うちみかへりつつ、こたみはゆるゆるとものげにて、卯の花ばかりをとりておはするもをかし。
さてまゐりたれば、ありさまなどとはせ給ふ。うらみつる人々、怨じ心うがりながら、藤侍従の、一条の大路はしりつるかたるにぞ、皆笑ひぬる。
「さていづら、歌は」
とはせたまへば
「かうかう」
と啓すれば
「口おしの事や。うへ人などの聞くかうむに、いかでか露をかしきことなくてはあらむ。その聞きつらむ所にて、きとこそはよまましか。あまり儀式定めつらむこそあやしけれ。ここにてもよめ。いといふかひなし」
などのたまはすれば、げにと思ふにいと侘しきを、いひあはせなどする程に、藤侍従、ありつる花につけて、卯の花の薄様にかきたり。この歌おぼえず。これがかへしまづせむなど、硯とりに局にやれば、
「ただこれして、とくいへ」
とて御硯蓋に紙などしてたまはせたる。
「宰相の君、かき給へ」
といふを、
「なほそこに」
などいふ程に、かきくらし雨ふりて、神いとおそろしう鳴りたれば、ものもおぼえず、ただおそろしきに、御格子まゐりわたしまどひし程に、この事も忘れぬ。
いとひさしうなりて、すこしやむほどには、くらうなりぬ。ただいま、なほ、この返事(かへりごと)たてまつらむとて、とりむかふに、人々、上達部(かんだちめ)など、神のこと申しにまゐり給へれば、西面にいでゐて、もの聞こえなどするに、まぎれぬ。こと人はたさして得たらむ人こそせめ、とてやみぬ。なほ、この事に宿世(すくせ)なき日なめり、と屈(くん)じて、
「今はいかでささむいきたりし、とだに人におほく聞かせじ」
など笑ふ。
「今もなどか、そのいきたりしかぎりの人どもにていはざらむ。されどさせじと思ふにこそ」
とものしげなる御けしきなるも、いとをかし。されど、
「いまはすさまじうなりにて侍るなり」
と申す。
「すさまじかべきことか、いな」
とのたまはせしかど、さてやみにき。
其の二
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