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共和制ローマ(内乱の1世紀、カエサル、オクタヴィアヌスなど) 受験対策問題 11 |
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著作名:
レキシントン
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※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
・イタリア人は、インド=ヨーロッパ系の民族で、第一波のウンブリア人と第二波のラテン人にわかれる。
・ラテン人は第二波のイタリア人で、紀元前11世紀末にイタリア半島中央のラティウム地方に定住したため、この名がついた。
・ラテン人が紀元前753年にティベル河畔に建てたのがローマで、この都市国家は後に大帝国となる。また、ラテン人の話したラテン語はその後もヨーロッパ各地で重要な言語となり、スペイン語、フランス語、イタリア語などのロマンス語に発展した。
・ローマは当初、エトルリア人の王に支配されていたが、紀元前509年にエトルリア人の王が追放され、共和制がはじまった。初期の共和制ローマには、大土地所有者のパトリキ(貴族)と、一般市民のプレブス(平民)の2つの階層があった。
・ローマの政治は、300人の貴族で構成され立法を担当する元老院と、全男性市民で構成された3つの民会によって行われた。また官職として最高政務官のコンスル(執政官・統領)と非常時のディクタトル(独裁官)が存在した。
・コンスルは行政や軍事を担当した最高官職で、任期1年で無給であった。この官職は貴族が独占した。また、ディクタトルは非常時に全権力を与えられた独裁官職で、任期6ヶ月で再選は認められず、コンスルのうち一人が任命された。
・ローマでは平民が軍の主戦力となっていき、次第に貴族と政治的平等をもとめ対立するようになった。紀元前494年には平民たちがローマの聖なる山に立てこもった聖山事件がおこり、貴族は平民の政治参加に妥協し始め、護民官が設置された。
・護民官は、平民保護のための官職で、身体が神聖不可侵とされ、元老院やコンスルの決定を拒否できる権限をもった。最初2名だったが、紀元前449年に定員が10名となった。
・紀元前450年頃にローマ最古の十二表法が制定され、貴族が持っていた慣習法が明文化され、法律が平民にも理解されるようになった。
・その後も貴族と平民の政治闘争は続き、紀元前367年にリキニウス・セクスティウス法が制定され、コンスルのうち一名が平民から選ばれるようになり、公有地の所有に制限が設けられた。また、紀元前287年にはホルテンシウス法が制定され、平民会の決議が元老院の承認なしに国法になるということが決まった。ホルテンシウス法の制定によって貴族と平民の法的平等が達成されたが、完全な民主化には程遠かった。
・こうした中でもローマは征服活動を続け、紀元前272年、南イタリア(マグナ・グラエキア)にあったギリシアの植民市タレントゥムを征服し、イタリア半島統一を果たした。こうした遠征活動の際にアッピア街道が整備され、遠征軍の行軍を助けた。
・征服した地域を、ローマは分割統治という方法で治めた。完全な市民権をもつ植民市、私法上の市民権のみをもつ自治市、市民権を持たない同盟市という3つの差別化が図られた。
・紀元前264年から紀元前146年にかけて、フェニキア人の都市国家ティルスの植民市カルタゴとの間に、地中海の覇権をかけたポエニ戦争が起こった。
・第1回ポエニ戦争(紀元前264~紀元前241)はローマの勝利で、シチリア島を獲得し、これを初の属州とした。
・第2回ポエニ戦争(紀元前246~紀元前183)は、カルタゴの名将ハンニバルがイタリアに侵攻したことでローマが危機的な状況に陥る。紀元前216のカンネーの戦いで惨敗したローマ軍は、起死回生の策としてカルタゴ本土を攻め、ハンニバルを本国に帰還させた。その後紀元前202年のザマの戦いで大スキピオ率いるローマ軍が勝利し、第2回ポエニ戦争は終結した。この戦争の結果、カルタゴは海外領土をすべて喪失し、多額の賠償金が課せられた。
・第3回ポエニ戦争(紀元前149~紀元前146)は、カルタゴをローマが一方的に攻め、滅亡させた戦いであった。この戦争の結果、ローマは西地中海を広く支配することになった。また、カルタゴと同時に、コリントスという商業都市も滅亡した。
・ローマは広大な領土を獲得し、征服地を属州として支配した。属州は富裕市民によって土地が買い占められ、ラティフンディアという大土地経営を行い、奴隷が酷使され安価で豊富な穀物が生産されるようになった。
・長期にわたる征服活動や、戦争による土地の荒廃、属州からの安価な穀物が本国に流入したことにより、重装歩兵の主力だった中小農民が没落し、無産市民となった。無産市民たちは、財産を持たなかったもののローマ市民権を有していたため、都市の有力な政治家たちは、「パンとサーカス」を盛んに行い、市民の歓心を買い、有力者の私兵として働くものも出てきくるようになった。
・第2回ポエニ戦争以降、公共事業や属州の徴税請負人として財を成したエクイテス(騎士)という新しい階級が台頭し、元老院貴族につぐ階層となった。また、富裕のパトリキとプレブス出身のノビレス(新貴族)という階層も生まれた。
・紀元前135年~紀元前132にかけて、過酷な支配に対してシチリア島の奴隷が反乱を起こした。
・政治の世界でも、元老院中心で保守派の閥族派(オプティマス)と、ノビレスやエクイテス出身者からなる反元老院派の平民派(ポプラレス)の対立が生じるようになった。
・紀元前133年から、変質したローマ社会を変えるため、グラックス兄弟の改革が行われた。
兄は紀元前133年に護民官としてリキニウス法の復活による大土地所有の制限と、土地再分配による自作農の創設、ローマ軍の再建を目指したが暗殺された。弟は紀元前123年に護民官に就任して改革を目指したが、元老院の対抗にあい、自殺した。
・グラックス兄弟の改革が失敗したあと、有力者たちが支配権を巡って閥族派と平民派にわかれ対立し、私兵を用いて争ったため、ローマ社会は「内乱の1世紀」をむかえた。
・ローマの私兵化を進めたのが、平民派のマリウスで、ユグルタ戦争を鎮圧した後、職業軍人制度をはじめた。また、これに対抗したのが閥族派のスラで、同盟市戦争を収拾したあと、元老院から承認をえて無期限のディクタトルとして専制政治をおこなった。
・内乱の1世紀が進むにつれ、クラッスス・ポンペイウスがスパルタクスの反乱を鎮圧し、その他にカエサルが有力な政治家として台頭した。
・紀元前60年、元老院と対立した三人は、私的な盟約を結び、第1回三頭政治を行った。この結果、ポンペイウスがスペイン、クラッススがシリア、カエサルが未平定のガリアを勢力範囲とした。
・紀元前53年に、パルティア遠征の最中にクラッススが戦死すると、ポンペイウスが元老院側に接近したため、第1回三頭政治は解消された。
・カエサルは紀元前58年から紀元前51年までガリア遠征を行い、ケルト・ゲルマン民族を征服した。この遠征の際に書かれたのが、『ガリア戦記』で、ラテン文学の代表作で、古代ケルト・ゲルマン社会を知る重要な史料となった。
・ガリア遠征からローマに凱旋したカエサルは、ポンペイウスを破り、紀元前45年に元老院からインペラトルの称号を与えられる。事実上の独裁者となったカエサルはさまざまな政策を行うが、紀元前44年にブルートゥスをはじめとする共和主義者に暗殺された。
・カエサル暗殺後、カエサルの武将だったアントニウス、レピドゥスと、カエサルの養子オクタヴィアヌスが有力となり、紀元前43年に第2回三頭政治が行われた。この結果アントニウスがヘレニズム地域、オクタヴィアヌスが西方全域、レピドゥスがエジプト以外の北アフリカを勢力範囲としたが、紀元前36にレピドゥスが失脚するとアントニウスとオクタヴィアヌスの対立が深まった。
・紀元前31年にエジプト女王クレオパトラとアントニウスが結び、オクタヴィアヌス率いるローマ軍とアクティウムの海戦が起こった。オクタヴィアヌスは勝利し、紀元前30年にエジプトを併合し、全地中海を平定した。
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