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『木曽の最期(木曾左馬頭、その日の装束には~)』テストで出題されそうな問題 |
著作名:
走るメロス
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平家物語『木曾の最期』
このテキストでは、平家物語『木曾の最期』(木曾左馬頭、その日の装束〜手塚別当落ちにけり)でテストに出題されそうな問題をピックアップしています。
※「祇園精舎の鐘の声〜」で始まる一節で広く知られている平家物語は、鎌倉時代に成立したとされる軍記物語です。平家の盛者必衰、武士の台頭などが描かれています。
問題
次の文章を読み、設問に答えよ
木曾左馬頭、その日の装束には、赤地の錦の直垂に唐綾威(からあやおどし)の鎧着て、鍬形うったる甲の緒しめ、いかものづくりの大太刀はき、石うちの矢の、その日のいくさに射て少々のこったるを、頭高に負ひなし、滋籐の弓もって、きこゆる木曾の鬼葦毛といふ馬の、きはめてふとうたくましいに、金覆輪の鞍おいてぞ乗ったりける。鐙ふんばり立ちあがり、大音声をあげて名のりけるは、
「昔は聞きけむものを、木曾の冠者、今は見るらむ、左馬頭兼伊予守朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐の一条次郎とこそ聞け。たがひによきかたきぞ。義仲うって、兵衛佐にみせよや」
とて、をめいて駆く。一条の次郎、
「只今なるのは大将軍ぞ。あますな者ども、もらすな若党、うてや」
とて、大勢の中にとりこめて、我うっとらんとぞすすみける。木曾三百余騎、六千余騎が中をたてさま、よこさま、蜘手、十文字にかけわって、うしろへつっと出でたれば、五十騎ばかりになりにけり。そこを破つて行くほどに、土肥の次郎実平二千余騎でささへたり。其をもやぶってゆくほどに、あそこでは四五百騎、ここでは二三百騎、百四五十騎、百騎ばかりが中をかけわりかけわりゆくほどに、主従五騎にぞなりにける。五騎が内まで巴はうたざれけり。木曾殿、
「おのれは、とうとう、女なれば、いづちへもゆけ。我は打死せんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなんど、いはれん事もしかるべからず」
と宣ひけれども、なほおちもゆかざりけるが、あまりにいはれ奉って、
「あっぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん」
とて、ひかへたるところに、武蔵国にきこえたる大力、御田八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べ、むずと取つて引き落とし、我乗つたる鞍の前輪に押し付けてちつとも動かさず、首捻ぢ切つて捨ててんげり。その後物の具脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。手塚太郎討死す。手塚別当落ちにけり。
設問
■Q1:「昔は聞きけむものを」のけむの意味と活用形を答えよ。
■Q2:「冠者」を歴史的仮名遣いで読め。
■Q3:「兵衛佐」とは誰のことを指すか。
■Q4:「主従五騎」のうち一人は今井四郎であるが、残りの4人を本文中から抜き出せ。
■Q5:木曾殿が、巴に、隊列から離れるように言ったのは何故か。
■Q6:「捨ててんげり」を文法的に説明せよ。
■次ページ:解答と現代語訳
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