更新日時:
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【平安時代の恋愛】 |
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著作名:
春樹
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現代であれば電話やメールといったように、相手に気持ちを伝えるツールは様々です。
それでは、そのようなツールがなかった平安時代には、どのようにして出会い、相手に気持ちを伝えていたのでしょうか。貴族におけるそれについて説明したいと思います。
この時代、主語はほとんどが男性です。手紙を送るのも男性、デートに誘うのも男性。このことを念頭に置いておいてください。
平安時代の女性は、人前に顔を出すことがほとんどありませんでした。
それ故に、男性たちは知人から姉妹を紹介してもらったり、乳母や女中から紹介を受けたりということで女性と知り合いになっていくのがこの時代のスタンダードでした。
たまたま通りかかった家をふと覗いたら素敵な女性を見つけ、一目惚れしてしまうということも少なからずありました。垣根に隠れて家の中を覗くということを「垣間見」と言います。
好きな女性ができたら、手紙を送るのがこの時代の次のステップです。
このラブレターのことを「文」(ふみ)と言います。
ここで問題になってくるのが、どのようにして渡せばいいのかということです。垣間見などで一目惚れしまったのなら、女性の名前を調べるところから始めなくてはなりません。未婚女性とほとんど接する機会がない時代ですので、男性は、意中の女性の女房等、近い知人を介して手紙を渡していました。
もちろん手紙の内容にもこだわりがあります。文字が綺麗なのはもちろん、この時代には、気持ちを歌(和歌)に添えて送るのがスタンダードでしたので、その歌が上手いかを女性はみていました。
手紙を受け取った女性も大騒ぎです。家来の女房と一緒に手紙の内容を吟味し、女性の親は手紙の送り主がどのような人物であるかを調べます。
いろいろ吟味したうえで、女性は男性に手紙を返します。女性が裏方に徹する時代とはいえ、女性にも男性を選ぶ権利があったのですね。
このステップが平安時代ではもっとも難しいステップだったかもしれません。
手紙のやりとりが続いたら、デートにいきませんかというのが自然の流れでしょう。この時代のデートは、ほとんどが家デートです。男性が女性の家に遊びにいく(通う)のが決まりでしたこのデートにもいくつかのルールがあります。
事前に何日の何時頃遊びに行きますというのを打ち合わせしておいて、女性は裏方からこっそりと家に招き入れるのが暗黙の了解でした。
女性はこのタイミングで相手の顔を初めて顔を見るということもあったかもしれません。
デートの後には「ありがとう」を伝えるのが現代でもマナーでしょう。この時代には「後朝」(きぬぎぬ)の文と呼ばれる手紙を送るのがマナーでした。「後朝」とは、夜を一緒に過ごした翌朝の別れを意味します。
初めて女性の家に遊びにいったあと2日続けて遊びにいくことで(合計で3日)、結婚の成立ということになります。3日目の夜に、女性は宴を開き、男性を家族に紹介する運びとなっていました。
平安時代の結婚は、今日のものとは大きく異なる形態をとっていました。その中でも、特に興味深いのが「妻問婚(つまどいこん)」という結婚スタイルです。このスタイルには以下の特徴があります。
妻問婚では、夫婦は結婚しても別々に暮らし、夫は定期的に妻の実家に通いました。この独特なスタイルは、古代からの伝統であり、古墳時代に確立されました。夫は夜が明ける前に帰宅し、日中は妻の実家で過ごすというのが一般的でした。子供たちは母方の親族に育てられ、母親の一族が育児に参加することも特徴的でした。
平安時代の恋愛文化は、和歌を通じて表現されました。貴族たちは和歌を使って恋愛感情を伝え合い、詠み込むことで心を通わせました。和歌は五七五七七の三十一文字から成る短い詩で、自然や季節、恋愛や哀愁を美しく詠みました。この和歌の技術は、人々の魅力や教養を示す手段とされ、その巧みさが多くの求婚者を引き寄せました。
外戚による政治的介入も、平安時代の結婚文化における特徴です。中でも藤原氏などの有力貴族は、天皇の母や祖母などの外戚となって政治に介入し、実権を握ることがありました。これが「摂関政治(せっかんせいじ)」と呼ばれます。外戚は摂政や関白といった役職に就き、天皇の代わりに政務を取り仕切りました。摂関政治は平安時代末まで続きましたが、後に武士や院政(いんせい)によって徐々に影響力を失っていきました。
平安時代の結婚は、家族や社会の発展と連携を目指して行われました。以下では、平安時代の結婚に関する様々な特徴と慣習を詳しく紹介します。
貴族や公家の間では、政略結婚が主流でした。政略結婚は政治的同盟や家族の名誉を保つために行われ、相手の家柄や地位が重要視されました。一方で、庶民や農民の間では、自由恋愛や縁談を通じた結婚も行われました。
貴族や公家の間では、婚姻の交渉は親族や仲介者を通じて行われました。書状のやり取りや婚礼の日程調整などが含まれ、形式を重んじる傾向がありました。一方で、庶民や農民の結婚は、家族や地域社会の協力によって実現しました。
貴族や公家の婚礼は厳粛な儀式でした。婚姻契約書の交換や婚礼の日程を決める「縁起物見」が行われ、神社や寺院で祈祷や祝宴が執り行われました。庶民や農民の婚礼は地域の風習に従って行われ、神社や仏壇での祈りや親族との祝福が含まれました。
平安時代の結婚では、男性が家族や家業の継承者としての役割を果たし、女性が家庭や子育てに専念することが期待されました。貴族や公家の間では、正妻との間に子供をもうけることが重要視されましたが、側室を持つことも一般的でした。庶民や農民の結婚では、夫婦が協力して家庭を築き、子育てに取り組む姿勢が求められました。
平安時代の結婚は、社会と家族の協力が不可欠でした。また、貴族と庶民の結婚には慣習や儀式の違いがありました。このような多様な要素が結びついて、平安時代の結婚文化が形成されました。この時代は日本史上の特異な時期であり、その独自性ある結婚文化も魅力的です。
いかがでしょうか。どの時代でも、歌や小説の題材になるのはその時代を生きた人の恋愛事情です。平安時代の恋愛を理解することで、少しでも古典作品の読解にお役に立てれば幸いです。
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