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【ミッドウェー海戦、沖縄戦、原爆投下、ポツダム宣言受諾と日本の敗戦】 受験日本史まとめ 78
著作名: Cogito
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ついに日本政府は戦争終結の意思を固め、政府・軍部(大本営)の最高首脳からなる最高戦争指導会議では、ポツダム宣言受諾を説く東郷茂徳外相・米内光政海相らと、なお本土決戦と戦争継続を主張する阿南惟幾陸相・梅津美治郎参謀総長・富田副武軍司令総長との間に意見の相違が続きましたが、1945年(昭和20年)8月10日、8月14日の再度にわたって御前会議が開かれ、鈴木貫太郎首相の要請により、昭和天皇(1901〜89)が裁断を下すという異例な形で、ポツダム宣言受諾が決定されました。日本のポツダム宣言受諾の最終決定は8月14日夜に中立国スイス政府を通じて連合国側へ通告され、8月15日正午、昭和天皇の玉音放送により国民に明らかにされました。同年9月2日、東京湾に停泊中の戦艦ミズーリ号上で、日本と連合国との降伏文書調印式が行われ、史上最大の被害をもたらした第二次世界大戦は終結しました。

第二次世界大戦では、戦史編集にあたった服部卓四郎によるデータで、戦死者数約2200万人、負傷者数約3400万人に及んだと推定されています。日本の被害は、軍人や軍属の死亡・行方不明約186万人、一般国民の死亡・行方不明約66万人、罹災家屋約236万戸、罹災者約875万人に達し、1937年〜45年の臨時軍事費は当時の金額で1654億1377万円という巨額にのぼり、国富被害は約635億円余にのぼったとされます。日本の死亡者の中には、敗戦後満州を含む中国で死亡した民間人約17万人が含まれており、ソ連に降伏した約60万人が戦後シベリアやモンゴルに連行され、強制労働ののち約6万人が死亡したといわれています。

こうして、当時の一部の指導者層によってはじめられた大戦争により、女性や子供を含む多くの民間人が犠牲となり、国土は荒廃し、日本は敗戦国となりました。



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