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『水滸伝』とは わかりやすい世界史用語2177
著作名: ピアソラ
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水滸伝とは

「水滸伝」は、中国の明代に成立したとされる長編小説で、中国四大奇書の一つに数えられています。 物語の舞台は12世紀初頭、北宋末期の腐敗した社会です。 当時の宋王朝は、女真族の侵攻によって領土の半分を失い、南へ都を移さざるを得ない状況にありました。 加えて、政府内では無能な政治家や汚職役人が蔓延し、国力は著しく衰退していました。 このような時代背景のもと、不正や圧政に苦しむ人々が、やむを得ず法を犯し、義賊として生きる道を選ぶ姿が描かれています。
物語の核となるのは、梁山泊と呼ばれる沼沢地に集結した108人の好漢たちの活躍です。 彼らはもともと、役人、軍人、学者、商人、漁師など、様々な階層の出身でした。 しかし、それぞれが汚職役人による冤罪や不当な扱いを受け、社会から追放された結果、梁山泊に流れ着くことになります。 彼らは「天に替わって道を行う」という旗印を掲げ、腐敗した権力に立ち向かい、民衆を救うために戦います。



史実と創作

「水滸伝」の物語は、全くの創作というわけではありません。史実として、北宋末期に宋江という人物が36人の仲間を率いて淮河流域で活動し、1121年に朝廷に投降したという記録が残っています。 この宋江とその仲間たちの話は、南宋時代には民衆の間で語り継がれるようになり、やがて様々な物語へと発展していきました。 13世紀半ばには、これらの物語をまとめた『大宋宣和遺事』という書物が登場し、「水滸伝」の直接的な原型になったと考えられています。 この書物には、宋江と36人の仲間たちの冒険譚に加え、宋王朝の奸臣たちが政府を牛耳り、民衆に多大な苦しみを与えたという話も含まれており、後の「水滸伝」の骨格を形成しています。

作者と成立年代

作者については、伝統的に元末明初の施耐庵とされていますが、確証はなく、長年にわたり議論が続いています。 施耐庵の生涯については信頼できる情報がほとんどなく、一部の研究者は、『三国志演義』の作者としても知られる羅貫中が執筆、あるいは改訂に関わったと考えています。 施耐庵と羅貫中は同一人物であるという説や、羅貫中が施耐庵の弟子であったという説もあります。 また、物語のテキスト自体が多くの情報源から派生し、多くの編集者の手が加わっていることも、作者の特定を困難にしている要因です。
「水滸伝」がいつ書かれたかについても、学者の間で見解が分かれています。 14世紀半ば、モンゴル支配の元朝が崩壊し、明朝が成立する間の時期とする説や、現存する最古の版本が16世紀半ばのものであることから、それ以前に成立したとする説などがあります。 1524年に明の役人たちの間でこの小説が議論されたという記録が、外部からの最初の言及として確認されており、この年代が成立時期を考察する上での一つの基準となっています。
このように、「水滸伝」は史実とフィクションが融合し、長い年月をかけて民衆の間で育まれてきた物語が、一人の(あるいは複数の)優れた作家によって文学作品として昇華されたものと言えます。 口承文学から発展した物語であるため、その内容は極めて暴力的で、食欲や飲酒への過剰な欲求、そして女性蔑視的な描写も多く見られます。 しかし、それと同時に、不正に対する抵抗、仲間との絆、正義の追求といった普遍的なテーマを描き出し、中国文学における白話(口語)小説の傑作として高く評価されています。

物語のあらすじ

「水滸伝」の物語は、百八の魔星が解放されるという幻想的な場面から始まります。 洪信という名の元帥が、都に蔓延する疫病を治すための祈祷を道教の聖地に依頼しに行った際、禁じられていた「伏魔之殿」の扉を強引に開けてしまいます。 そこには、古くから亀の形をした石碑の下に封印されていた百八の魔星が閉じ込められていました。 洪信が封印を解いたことで、魔星たちは四方八方へと飛び去り、地上に転生することになります。 これが、後に梁山泊に集う百八人の好漢たちの誕生譚となっています。
物語はその後、個々の好漢たちが、いかにして義賊となっていったかの経緯を、一人ひとり丁寧に描いていきます。彼らの多くは、高俅をはじめとする腐敗した役人たちの策略や私怨によって、無実の罪を着せられたり、社会的な地位を奪われたりした人々です。
例えば、禁軍の武術師範であった林冲は、高俅の義理の息子が高官の妻に横恋慕したことから、罠にはめられてしまいます。 無実の罪で流罪となり、護送の道中や流刑地で何度も命を狙われますが、その度に九死に一生を得ます。 度重なる迫害の末、ついに追っ手を殺害し、梁山泊へと逃げ込むのです。
また、役人であった宋江は、義侠心に厚く、困っている人々を助けることから「及時雨」と呼ばれ慕われていました。 彼は梁山泊の首領である晁蓋と密かに手紙のやり取りをしていましたが、そのことを愛人の閻婆惜に知られてしまいます。 閻婆惜に脅迫された宋江は、やむなく彼女を殺害し、お尋ね者となってしまいます。
他にも、素手で虎を打ち殺した武松、正義感から役人を殺害し僧侶となった魯智深、裕福な商人であったが梁山泊の策略で仲間になることを余儀なくされた盧俊義など、個性豊かな好漢たちの物語が次々と語られます。 彼らはそれぞれの事情で社会から弾き出され、やがて運命に導かれるように梁山泊へと集結していくのです。
梁山泊は、当初は王倫という人物が首領でしたが、彼の器量の小ささから、晁蓋が新たな首領となります。 晁蓋の死後、その遺言と仲間たちの推挙により、宋江が梁山泊の首領の座を引き継ぎます。 宋江の指導のもと、梁山泊の勢力はますます拡大し、百八人の好漢が勢揃いします。 彼らは天罡星三十六人、地煞星七十二人という天の宿星の生まれ変わりとされ、それぞれの席次が定められます。
梁山泊軍は、腐敗した役人が支配する州や県を次々と攻略し、民衆を苦しめる悪徳役人や富豪たちを打ち破っていきます。彼らの活躍は、圧政に苦しむ民衆から熱狂的な支持を得ます。しかし、宋江の最終的な目標は、反乱軍の首領として生涯を終えることではありませんでした。彼は、朝廷から恩赦を受け、再び国家のために尽くすことを望んでいたのです。
この宋江の考えは、梁山泊の内部に亀裂を生じさせます。徹底抗戦を主張する者たちと、朝廷への帰順を望む者たちとの間で意見が対立するのです。 最終的に、宋江の強い意志により、梁山泊は朝廷からの恩赦を受け入れます。
恩赦を受けた梁山泊軍は、朝廷の軍隊として、北方の遼国からの侵略者や、国内の他の反乱軍(田虎、王慶、方臘など)の討伐に赴きます。 これらの戦いは熾烈を極め、多くの好漢たちが命を落としていきます。 特に、方臘との戦いでは、梁山泊軍は壊滅的な打撃を受け、生き残った好漢はわずか27名でした。
全ての戦いを終え、都に凱旋した宋江たちを待っていたのは、栄誉ある地位ではなく、彼らを依然として敵視する高俅ら奸臣たちの新たな陰謀でした。 宋江と副首領の盧俊義は、奸臣たちによって毒殺されてしまいます。 宋江は、自分の死後、最も忠実な部下である李逵が復讐のために再び反乱を起こすことを予期し、彼にも毒酒を飲ませて道連れにします。 こうして、梁山泊の英雄たちの物語は、悲劇的な結末を迎えるのです。 しかし、彼らの死後、その功績は皇帝に認められ、英雄として祀られることになります。

主要登場人物

「水滸伝」には、百八人の好漢をはじめ、数多くの魅力的な人物が登場します。 彼らはそれぞれが際立った個性を持ち、物語に深みと彩りを与えています。ここでは、特に重要な役割を果たす数名の人物を紹介します。
宋江(そうこう)
梁山泊の第三代首領。 もとは県の役人でしたが、義侠心に富み、困っている人を助けることから「及時雨」と呼ばれていました。 梁山泊の好漢たちと通じていたことが露見し、愛人を殺害してお尋ね者となります。 多くの好漢から人望を集め、晁蓋の死後に首領となります。 彼の最終的な目標は、朝廷に帰順し、国のために尽くすことでした。 その忠誠心ゆえに、最後は奸臣の策略によって毒殺されるという悲劇的な最期を遂げます。 彼の人物像は、忠義と反逆という相容れない要素を内包しており、物語の複雑なテーマを象徴しています。
林冲(りんちゅう)
元は八十万禁軍の武術師範。 槍術の達人で、「豹子頭」の異名を持ちます。 妻が高俅の義理の息子に言い寄られたことから、罠にはめられ、無実の罪で流罪となります。 度重なる迫害の末に、やむなく追っ手を殺害し、梁山泊に入ります。 彼の物語は、善良な市民がいかにしてアウトローへと追い詰められていくかを描く典型例として、多くの読者の同情を誘います。
魯智深(ろちしん)
元は下級役人。 怪力の持ち主で、直情的かつ正義感の強い人物です。 虐げられていた父娘を救うために、町のならず者を三発の拳で殴り殺してしまい、追われる身となります。 五台山で出家して僧侶となりますが、戒律を守れず、大相国寺の菜園番となります。 そこで林冲と親交を結び、後に梁山泊に加わります。彼の豪快な性格と行動は、物語にユーモアと活気をもたらしています。
武松(ぶしょう)
並外れた腕力を持つ英雄。 故郷に帰る途中、素手で人食い虎を倒したことで有名になります。 兄が殺されたことを知ると、兄嫁とその愛人を殺害して復讐を果たし、お尋ね者となります。 彼の物語は、復讐と正義のテーマを色濃く反映しており、その壮絶な戦いの描写は物語の中でも特に印象的です。
呉用(ごよう)
梁山泊の軍師。 「智多星」の異名を持つ、優れた策略家です。 多くの作戦を立案し、梁山泊軍を勝利に導きます。宋江の最も信頼する腹心の一人であり、宋江の死を知ると、彼の墓前で自害して後を追います。
高俅(こうきゅう)
物語における主要な敵役の一人。 もとは街のごろつきでしたが、蹴鞠の腕前を皇帝に気に入られ、太尉という高官にまで上り詰めます。 権力を笠に着て私腹を肥やし、多くの人々を陥れます。林冲を罠にはめた張本人であり、梁山泊の好漢たちの多くが、彼の不正によって人生を狂わされています。 彼は、宋王朝の腐敗を象徴する人物として描かれています。

百八の魔星:天罡星と地煞星

「水滸伝」の中心的な概念として、「百八の魔星」があります。 これは、道教の思想に基づき、人の運命は「宿星」と結びついているという考え方を反映したものです。 物語では、天界から追放された百八の魔王が、過ちを悔い改めた後、誤って封印を解かれ、正義のために戦う百八人の英雄として地上に生まれ変わったとされています。
この百八人の英雄は、「天罡星三十六人」と「地煞星七十二人」の二つのグループに分けられます。 天罡星は、宋江、盧俊義、呉用、公孫勝、関勝といった梁山泊の主要な指導者たちであり、より高い地位と能力を持つとされています。 一方、地煞星は、彼らを補佐する役割を担う英雄たちです。
梁山泊に百八人の好漢が全員集結した際、天から石碑が降りてきて、そこに百八人全員の名前とそれぞれの宿星、そして席次が刻まれていました。 この席次は、彼らの能力や功績だけでなく、天命によって定められた運命的な序列を示しています。
この「百八の魔星」という設定は、物語に超自然的な要素と壮大なスケールを与えています。 個々の英雄たちの物語が、単なる個人の反乱ではなく、天命によって定められた壮大なドラマの一部であることを示唆しているのです。この概念は、後の文学やゲームなどにも大きな影響を与えており、特に日本のRPGシリーズ「幻想水滸伝」は、この百八の星の仲間を集めるというシステムをゲームの根幹に取り入れています。

テーマと文学的分析

「水滸伝」は、単なる冒険活劇ではなく、多くの深いテーマを探求しています。
忠義と反逆
物語の最も中心的なテーマの一つは、「忠義」と「反逆」の間の緊張関係です。 梁山泊の好漢たちは、腐敗した地方官吏に対しては反逆しますが、皇帝そのものに対しては忠誠を誓い続けます。 彼らの掲げる旗印「替天行道」は、「天に替わって道を行う」という意味であり、不正な役人を討つことは、天命、ひいては皇帝の真の意思に沿う行為であるという論理に基づいています。 首領である宋江は、特にこの皇帝への忠誠心が強く、最終的に朝廷への帰順という道を選びます。 しかし、その忠誠心は、彼らを滅亡へと導く皮肉な結果をもたらします。 この物語は、忠義とは何か、誰に対して忠義を尽くすべきかという問いを読者に投げかけます。
正義と不正
「水滸伝」は、社会における正義と不正のあり方を鋭く問いかけます。 物語の世界では、法を司るべき役人たちが私利私欲のために不正を働き、罪のない人々を苦しめています。 一方、法を犯したアウトローである梁山泊の好漢たちが、弱きを助け、強きをくじく正義の体現者として描かれます。 このように、権力者が犯罪的に振る舞い、犯罪者と見なされた者が道徳的に行動するという社会の矛盾が暴かれています。 物語は、「悪政は民衆に反乱以外の選択肢を与えない」という状況を描き出すことで、真の正義とは何かを問い直します。
仲間との絆(義)
梁山泊の好漢たちを結びつけているのは、「義」と呼ばれる仲間との強い絆です。 彼らは異なる背景を持ちながらも、共通の目的のために団結し、互いに助け合います。 この義侠心や仲間への忠誠心は、物語全体を貫く重要な価値観です。 彼らは、個人の利益よりも集団の名誉や仲間との約束を重んじます。しかし、この「義」の概念もまた、過剰な暴力や排他性を生み出す側面も持っています。
暴力と残虐性
「水滸伝」は、その極めて詳細で生々しい暴力描写でも知られています。 登場人物たちは、しばしば常軌を逸した残虐行為に及びます。 例えば、武松は兄の復讐のために、兄嫁とその愛人を惨殺するだけでなく、自分を陥れようとした役人の一家を皆殺しにします。 宋江もまた、自分を裏切ろうとした愛人を殺害します。 こうした過剰な暴力は、物語が元々、大衆を楽しませるための講談であったことに由来するとも考えられています。 一方で、これらの暴力描写は、登場人物たちの英雄性と残虐性の間の矛盾を意図的に描き出し、読者に英雄の定義を再考させるための皮肉な表現であるという解釈もあります。
女性の描写
物語に登場する女性の多くは、美しくも不道徳な人物として描かれる傾向があります。 例えば、武松の兄嫁である潘金蓮は、その美貌で男を惑わし、不倫の末に夫を毒殺する悪女として描かれています。 宋江の愛人である閻婆惜も、宋江を裏切り、脅迫する人物です。 このような女性像は、物語の男性中心的な価値観を反映していると指摘されています。しかし、中には扈三娘のように、梁山泊の好漢として戦う勇敢な女性も登場します。

諸本と影響

「水滸伝」には、長い歴史の中で様々なバージョンが生まれました。 主なものとして、70回本、100回本、120回本などが知られています。
70回本: 清代初期の批評家である金聖嘆が編集した版。 梁山泊に百八人が集結し、席次が決まる場面で物語が終わり、その後の朝廷への帰順や討伐行は削除されています。 これは、好漢たちの反逆精神を強調するための編集であるとされています。
100回本: 梁山泊が朝廷に帰順し、遼国を討伐するまでを描いています。
120回本: 楊定見によって補われたとされる版で、遼国討伐の後、田虎、王慶、方臘の反乱軍を討伐する部分が加えられています。 最も完全な版と見なされており、好漢たちの悲劇的な結末までが描かれています。
これらのバージョンの違いは、物語の解釈に大きな影響を与えます。例えば、金聖嘆の70回本は、反体制的な英雄譚としての側面を強調するのに対し、120回本は、忠義を尽くした英雄たちの悲劇として物語を締めくくっています。
「水滸伝」は、中国国内だけでなく、東アジアの文学、特に日本の文学に大きな影響を与えました。 江戸時代には日本に伝わり、多くの翻案作品やパロディ作品が生まれました。 曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』も、「水滸伝」から着想を得た作品の一つとして知られています。
また、「水滸伝」の物語は、映画、テレビドラマ、漫画、ビデオゲームなど、様々なメディアで繰り返し翻案されています。 その魅力的なキャラクターと波乱に満ちた物語は、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。

結論

「水滸伝」は、単なる義賊たちの武勇伝ではありません。それは、腐敗した社会の中で、正義とは何か、忠義とは何かを問い続け、理想と現実の間で葛藤しながらも懸命に生きた人々の壮大な叙事詩です。 史実と伝説、超自然的な要素と生々しい現実が織り交ぜられたこの物語は、個々の英雄たちの独立した物語の連なりでありながら、全体として一つの大きな流れを形成しています。
登場人物たちの過剰な暴力性や、現代の価値観とは相容れない部分も多く含んでいますが、権力による不正義への抵抗、仲間との絆、そして社会の矛盾といったテーマは、普遍的な力を持っています。 口語体で書かれた最初期の長編小説の一つとして、その後の中国文学に計り知れない影響を与えただけでなく、東アジア、そして世界の文化にもその足跡を残しています。 梁山泊に集った百八人の好漢たちの物語は、圧政に苦しむ人々にとっての希望の象徴であり、また、理想が現実の前にいかに脆く、悲劇的な結末を迎えうるかを示す物語として、これからも語り継がれていくことでしょう。

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