更新日時:
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聖徳太子の功績 |
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著作名:
早稲男
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飛鳥時代の中心人物といえば聖徳太子です。
昔のお金にも肖像画が載り厩戸皇子などとも呼ばれる聖徳太子ですが、実際に存在したのかは明確にはわかっていません。
ここでは、その聖徳太子が残したであろう功績について細かく説明します。
日本で初めての女帝、推古天皇の摂政に就任をしました。
摂政とは、天皇に変わって政治を取り仕切る役職のことです。
それまで、姓や氏によって就くことができる役職は決められていました。ところが聖徳太子は、この冠位十二階の制を定めることによって出身や身分に関係なく、優秀な人材を登用することを打ち出したのです。
役人のランキングを12に分けて、能力に応じて官位を与えました。
この官位の与え方にも工夫があり、天皇から官位を授けるという体制をとりました。これによって、天皇の重要性を意識付ける狙いがあったとされています。
日本で初めて作られた官位制であることに注目しておいてください
憲法十七条や十七条の憲法と表記されたりもします。
この憲法ができた背景には、隣国随の存在があります。
国を治める立場にあった聖徳太子は、随に支配をされないように国をしっかりとまとめておく必要があったのです。
役人の心を1つにまとめるため、そのような思いで作られたのがこの十七条憲法なのです。
原文 :和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為す
現代語訳:仲良くすることが大切である。
原文 :篤く三宝を敬え。
現代語訳:仏、法、僧の3つを敬いなさい。
など、ひょっとしたら暗記させられた方もいらっしゃるかもしれませんね。
遣隋使として小野妹子を随に派遣しました。607年のことです。
派遣の理由はいくつかありますが、日本を1つの国であると随に認めてもらうことで、朝鮮半島での覇権争いを優位に進めようとしたことや、大国随から多くのものを学ぼうといった理由から派遣されたとされています。
なお、この遣隋使の派遣の際に、自国を表す表現として初めて「日本」という言葉が使われたと言われています。
三経義疏とは、『法華義疏』、『勝鬘経義疏』、『維摩経義疏』の総称です。仏教の研究熱心だった聖徳太子は、『法華経』、『勝鬘経』、『維摩経』の三経の注釈書を書き、日本に仏教を布教する活動に注力していました。
三経義疏の執筆だけではなく、奈良の法隆寺や大阪の四天王寺の建立にも携わり、仏教が広まる土台を作ったのです。
仏教の普及や随に飲み込まれないためといった時代背景を理解すると、この時期の理解はぐっと深まります。
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