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サータヴァーハナ朝とは わかりやすい世界史用語797
著作名: ピアソラ
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サータヴァーハナ朝とは

サータヴァーハナ朝は、紀元前1世紀から紀元後3世紀にかけてインドのデカン高原を支配した古代インドの王朝です。この王朝は、ドラヴィダ系アーンドラ族に属するとされ、デカン地方で最初に帝国を築いた王朝として知られています。

起源と初期の歴史

サータヴァーハナ朝の起源は不明確ですが、プラーナ文献によれば、最初の王はカンヴァ朝を打倒して王朝を創始したとされています。最初の王シムカが即位し、王朝の基盤を築きました。彼の後継者であるクリシュナやサータカルニ1世も、王朝の勢力を拡大し、デカン高原全域にわたる支配を確立しました。



最盛期

サータヴァーハナ朝は、ガウタミープトラ・サータカルニの治世に最盛期を迎えました。彼は、王国の領土を現在のラージャスターン州からアーンドラ・プラデーシュ州、グジャラート州からカリンガ(現在のオリッサ州)にまで拡大しました。彼の治世中、サータヴァーハナ朝は西方のシャカ族(西クシャトラパ)との長期にわたる戦争を繰り広げましたが、最終的にはこれを撃退し、デカン地方の平和を確立しました。

経済と文化

サータヴァーハナ朝は、インド初期の国家貨幣を発行したことで知られています。これらの貨幣には、王の肖像やシンボルが刻まれており、王朝の権威を示すものでした。また、サータヴァーハナ朝はインドとローマ帝国との貿易を促進し、デカン地方の経済発展に寄与し、ローマの金貨が多く出土しました。特に、西海岸の港湾都市はインド・ローマ貿易の中心地として繁栄しました。

文化的には、サータヴァーハナ朝はヒンドゥー教と仏教の両方を保護し、支援しました。王朝の統治者たちは、多くの仏教寺院やストゥーパ(仏塔)を建設し、仏教の発展に寄与しました。特に、アマラーヴァティやナーシクなどの地には、サータヴァーハナ朝時代の重要な仏教遺跡が残されています。

衰退と終焉

サータヴァーハナ朝は、紀元3世紀初頭に衰退を迎えました。ガウタミープトラ・サータカルニの後継者であるヴァシシュティプトラ・プルマヴィやシヴァシュリ・サータカルニなどの王たちは、王国の維持に努めましたが、次第に勢力を失っていきました。最終的には、王国は複数の小王国に分裂し、サータヴァーハナ朝は歴史の舞台から姿を消しました。

サータヴァーハナ朝は、デカン地方の歴史において重要な役割を果たした王朝です。彼らは、インド初期の国家貨幣を発行し、インドとローマ帝国との貿易を促進しました。また、ヒンドゥー教と仏教の両方を保護し、多くの文化遺産を残しました。

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