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『大唐西域記』とは わかりやすい世界史用語657
著作名: ピアソラ
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『大唐西域記』とは

『大唐西域記』は、唐代の僧侶玄奘(602年-664年)が記した旅行記であり、彼のインドへの巡礼と仏教経典の探求の旅を詳細に記録しています。この書物は、玄奘が唐の都長安(現在の西安)からインドに至るまでの19年間の旅を描いており、646年に完成しました。

玄奘の旅は、唐の太宗皇帝の命により記録されました。彼の旅は、中央アジアを経由してインドに至り、カンチープラムなど南インドまで足を伸ばしました。彼は帰国後、弟子の辯機と共にこの旅行記を編纂しました。



『大唐西域記』は、全12巻から成り、120,000字以上の漢字で書かれています。この書物は、地理、交通、気候、特産品、言語、歴史、政治、経済、宗教、文化、風俗など、110の国や地域について詳細に記述しています。これには、現在の新疆ウイグル自治区からペルシャ、タジキスタン、ウズベキスタン、ネパール、インド、スリランカなどが含まれます。

玄奘の旅の動機は、仏教の教えに対する深い関心から来ていました。彼は唐の朝廷から正式な許可を得ずに出発しましたが、インドの各地で王たちと会い、その記録を残しました。特に、インドのハルシャ王との会見は重要であり、彼を説得して唐の太宗皇帝に使者を送らせることに成功しました。この外交関係により、玄奘は帰国後も法的な問題に直面することなく、太宗皇帝からの歓待を受けました。

『大唐西域記』は、仏教史やインド・中国間の関係史において重要な位置を占めるだけでなく、世界中の異文化研究においても重要な役割を果たしています。この書物は、玄奘の旅の詳細な記録を通じて、当時の中央アジアとインドの社会、文化、宗教、経済などを知るための貴重な資料となっています。

玄奘の旅は、シルクロードを通じて行われました。彼は、現在の甘粛省や新疆ウイグル自治区を経由し、中央アジアを通ってインドに到達しました。彼の旅は、仏教の経典を求めるだけでなく、各地の文化や風俗を記録することも目的としていました。

『大唐西域記』は、仏教の歴史やシルクロードの交通史の研究においても重要な資料です。この書物は、玄奘が訪れた各地の詳細な記録を提供し、当時の社会や文化を理解するための貴重な情報源となっています。

このように、『大唐西域記』は、玄奘の旅の詳細な記録を通じて、当時の中央アジアとインドの社会、文化、宗教、経済などを知るための貴重な資料となっています。

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