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高句麗遠征とは わかりやすい世界史用語620 |
著作名:
ピアソラ
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高句麗遠征とは
隋の高句麗遠征は、中国の隋が高句麗に対して行った一連の軍事遠征であり、特に612年、613年、614年にかけて行われました。この遠征は、隋の滅亡の一因となった重要な出来事です。
背景
隋は581年に成立し、中国を統一しました。隋の初代皇帝である文帝(楊堅)は、陳朝を滅ぼし、約300年間続いた中国の分裂状態を終わらせました。隋はその後、周辺諸国に対してもその覇権を主張しましたが、高句麗はこれに対して対等な関係を維持しようとしました。
高句麗は朝鮮半島北部と満州南部に位置し、三国時代の一つとして強力な軍事力を持っていました。高句麗の平原王とその後継者である栄陽王は、隋に対して独立を保ち、隋の北部国境に対する小規模な襲撃を続けました。これに対し、隋の文帝は596年に高句麗に使者を送り、東突厥との軍事同盟を解消し、隋を宗主国として認めるよう要求しました。
第一次遠征(598年)初代皇帝楊堅によるもの
598年、隋の初代皇帝文帝は五男の楊諒と宰相の高熲に命じて、高句麗に対する遠征を開始しました。この遠征には約30万の軍隊が動員されましたが、早い梅雨の影響で進軍が困難となり、食糧の輸送も滞りました。さらに、高句麗軍の絶え間ない攻撃と病気により、多くの犠牲者が出ました。
楊諒は海軍と合流して進軍を続けることを決定しましたが、海軍も荒れた海に苦しみ、多くの船を失いました。最終的に、隋軍は目標を達成できず、撤退を余儀なくされました。
第二次遠征(612年)これ以降二代皇帝煬帝によるもの
隋の第二代皇帝である煬帝(楊広)は、612年に再び高句麗に対する大規模な遠征を開始しました。この遠征には約113万の戦闘兵と200万の支援兵が動員されました。隋軍は黄海を渡り、高句麗の首都平壌を目指しましたが、高句麗の将軍乙支文徳の巧妙な戦術により、大きな損害を受けました。
隋軍は平壌近郊で高句麗軍に包囲され、多くの兵士が戦死しました。煬帝は撤退を命じましたが、隋軍は退却中にも高句麗軍の追撃を受け、多くの犠牲者を出しました。
第三次遠征(613年)
613年、煬帝は再び高句麗に対する遠征を試みましたが、隋国内での反乱により遠征は中止されました。煬帝は反乱を鎮圧するために帰国せざるを得ませんでした。
第四次遠征(614年)
614年、煬帝は最後の高句麗遠征を行いましたが、これも失敗に終わりました。隋軍は高句麗軍の抵抗に遭い、再び撤退を余儀なくされました。
結果と影響
隋の高句麗遠征は、隋にとって大きな損失となりました。度重なる遠征により、隋の財政は逼迫し、国内の不満が高まりました。これにより、隋は618年に滅亡し、唐王朝が成立しました。
高句麗は隋の遠征を撃退することで、その軍事力と独立を維持しました。しかし、その後も唐王朝との戦いが続き、668年に唐と新羅の連合軍により滅亡しました。
隋の高句麗遠征は、中国と朝鮮半島の歴史において重要な出来事でした。この遠征は隋王朝の滅亡の一因となり、高句麗の軍事力を示すものでした。隋の遠征は失敗に終わりましたが、その後の唐王朝の成立と高句麗の滅亡に繋がる一連の歴史的な流れを形成しました。
このように、隋の高句麗遠征は中国と朝鮮半島の歴史において重要な転換点となりました。隋の遠征は失敗に終わりましたが、その後の歴史に大きな影響を与えました。
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