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【ポルトガル人の来航、鉄砲伝来、イエズス会のキリスト教布教、南蛮貿易】 受験日本史まとめ 34
著作名: Cogito
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ヨーロッパにおける大航海時代のはじまり

日本で戦国大名が争いを続けていた15~16世紀にかけて、ヨーロッパでは文化復興のルネサンス、マルティン=ルターによる宗教改革を経て近代社会への移行が進んでいました。また、東地中海や中近東・アフリカには、マムルーク朝エジプトオスマン帝国が存在し、イスラム世界がヨーロッパ世界を政治・経済的に圧迫していました。

当時のヨーロッパでは香辛料などアジアの特産品が重宝され、それらはイスラム商人の仲介によりヨーロッパにもたらされていました。また、拡大するイスラム世界に対し、アジアにキリスト教国を増やし、これを挟撃する必要性も出てきました。こうした背景から、ヨーロッパ諸国は新航路の開拓や海外との直接貿易の拡大、キリスト教の布教、新たな植民地獲得などを目標に、世界的活動を開始しました。

1492年、スペイン女王イサベルの援助を受けたイタリア人探検家コロンブス(1446?~1506)が大西洋を横断し西インド諸島に到達しました。コロンブスは、新大陸発見前に、ここがインドだと思い西インド諸島と呼んだのです。1498年にはポルトガル人のヴァスコ=ダ=ガマ(1469?~1524)がアフリカの喜望峰をまわり新しいインド航路を発見し、インド西海岸のカリカットに到達しました。また、ポルトガル人のマゼラン(1480~1547)は、16世紀はじめに西廻りに出港後アメリカ大陸南端の海峡を渡り、フィリピンに到達しました。フィリピンのセブでマクタン王だったラプラプにマゼランは殺害されてしまいますが、彼の艦隊はその後西進を続け、世界周航を成し遂げました。こうしてヨーロッパの大航海時代がはじまりました。
スペイン・ポルトガル王国の発展

話は前後しますが、1469年、イベリア半島のカスティーリャ王国女王イサベルとアラゴン王国国王フェルナンドが結婚し、スペイン王国が誕生しました。またコロンブスが新大陸に到達した1492年、イベリア半島ではキリスト教徒がナスル朝のアルハンブラ宮殿を陥落させ、レコンキスタ(再征服活動)が達成されました。また、ポルトガル王国もこの時期発展し、ヨーロッパで比較的新しい王国だった両国は、政治経済的に優位なイギリス・フランス・イタリアなど古くから存在する国々との競争に勝つため、新しい交易路と植民地を求め、大航海時代の先駆者となりました。スペインは南北アメリカに広大な植民地を獲得し、1571年にはフィリピンを占領してマニラ市を建設しました。フィリピンという名はスペイン皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世)にちなんで名付けられました。フィリピンのマニラ市と、同じく植民地だったメキシコのアカプルコを結んだアカプルコ貿易を始めたスペインは、巨大な交易圏を獲得しました。また、ポルトガルも1510年にインド西海岸のゴアを占領後、ここを拠点に東に進出し、マレー半島のマラッカ諸島(香料諸島)を獲得し、その後海賊撃退の功績により明からマカオを割譲され、東アジア交易を活発化させました。

当時の明は朝貢貿易以外の私貿易を禁止していたため、中国・日本・朝鮮・台湾・琉球・安南(ベトナム)・フィリピンなどの商人は中継貿易(密貿易)を行っており、こうした中継貿易にヨーロッパ人が参入してきました。スペインは、メキシコやペルーの銀をアカプルコからマニラ市に運び、そこで中国商人の絹を買ってメキシコに運んでいました。ポルトガルは、中国の生糸を日本に運び、日本産の銀と交換する中継貿易をはじめました。これらの中継貿易は、ヨーロッパに香辛料を運んで得られるよりも多くの利益をポルトガルにもたらしました。




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