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【後醍醐天皇の親政、足利高氏の登場と鎌倉幕府の滅亡】 受験日本史まとめ 28 |
著作名:
Cogito
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持明院統と大覚寺統
二度に渡る元寇は防衛戦争であったため、鎌倉幕府は御家人に恩賞を与えることができませんでした。次第に御家人の貧窮さが増し、鎌倉幕府への不信感が高まっていきました。
鎌倉幕府は、北条家得宗に権力を集中させ、専制政治をもってこうした状況に対処しようとしました。北条貞時のあとを継いだ北条高時(1303~33)は若年であったため、御内人の代表である内管領長崎高資が政治の実権を握りました。こうした得宗専制政治の進展に対し、他の御家人は疎外感を感じ、鎌倉幕府への反感はより一層高まっていきました。
一方京都では、承久の乱後も上皇による院政が行われていました。北条泰時の指名により即位した後嵯峨天皇(在位1242~46)は後深草天皇に譲位したのち院政をしき、ついで後深草天皇の弟の亀山天皇(在位1259~74)を皇位につけました。後嵯峨上皇は院政の後継者を指名せず亡くなり、皇統をめぐって後深草上皇の流れをくむ持明院統と亀山上皇のながれをくむ大覚寺統に分裂しました。
両統は皇位と天皇家領荘園をめぐって争い、持明院統は180カ所におよぶ長講堂領を、大覚寺統は220カ所におよぶ八条院領を獲得し、その後も天皇位の交替のたびに幕府に働きかけ、幕府は両統が交互に即位する両統迭立を進め、1317年に協議しました。これを文保の和談といいます。この時、幕府はその後皇位継承に干渉しないと朝廷に宣言しました。
後醍醐天皇の親政
文保の和談ののちに即位した大覚寺統の後醍醐天皇(在位1318~39)は、宋の朱子学を学び、父後宇多上皇(在位1274~87)の院政をしりぞけ、天皇親政を開始し、記録所の機能を盛んにし、人材を登用し、延喜・天暦の時代の政治を目指しました。
平安時代の政治を理想とした後醍醐天皇は、鎌倉幕府に対して好意的ではなく、朱子学の大義名分論からも幕府批判が起こりました。鎌倉幕府が後二条天皇(在位1301~08)の皇子を皇太子に定め、その次の皇太子を持明院統に量仁親王に定めたことも、天皇の反感を買いました。また、各地で悪人の反幕府活動も広がっていきました。
こうした中、後醍醐天皇は討幕の意思を固め、近臣日野資朝・日野俊基と幕府を倒すための協議を行い、畿内の武士・僧兵とともに六波羅を襲うという計画を立てました。しかし、1324年(正中元年)にこの企みは幕府に察知され、資朝・俊基は逮捕されました。これを正中の変といい、幕府は寛容な処置で済ませ、資朝を佐渡に流し、俊基と後醍醐天皇は問責しませんでした。
しかし、後醍醐天皇は引き続き討幕に向けて動きました。護良親王・宗良親王を延暦寺の主座につけた後醍醐天皇は、延暦寺の僧兵の力を引き寄せようとし、日野俊基は山伏に扮し畿内の武士を説得しました。しかし、この企ても1331年(元弘元年)に近臣吉田定房の密告によって幕府に漏れ、六波羅探題に後醍醐天皇の捕縛を命じました。後醍醐天皇は京都を脱出し、山城の笠置山に逃れ、畿内の武士の協力を募りました。河内の悪党と思われる楠木正成(1294〜1336)が赤坂城で挙兵したのもこの頃でした。しかし、後醍醐天皇の呼びかけに応じた武士は少なく、延暦寺の僧兵も動きませんでした。後醍醐天皇は捕らえられ、赤坂城は落城し、楠木正成も行方をくらましました。
鎌倉幕府は後醍醐天皇を隠岐に流し、数名の近臣も流罪に処し、日野資朝と日野俊基は斬首されました。これを元弘の変といい、鎌倉幕府は持明院統の光厳天皇(1331〜33)を即位させました。
こうして、後醍醐天皇の討幕活動は失敗に終わりましたが、これ以降北条氏に反感を持つ武士、特に畿内の悪党の活動が活発になり、楠木正成は河内の千早城で挙兵し幕府軍と戦い、大和では護良親王が兵をあげました。播磨では親王の命を受け、悪党出身の赤松円心が幕府軍と戦いました。
畿内で鎌倉幕府と反幕府の武士が戦い始めると、討幕の機運が高まり、肥後の菊池氏、伊予の土居・得能氏ら有力御家人も反旗を翻しました。後醍醐天皇は隠岐を脱出し、伯耆の名和長年に迎えられ、船上山にこもりました。後醍醐天皇のもとには多くの武士が馳せ参じました。
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