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張角とは わかりやすい世界史用語477
著作名: ピアソラ
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張角とは

張角は、中国の後漢末期に黄巾の乱を率いた太平道の創設者でした。

黄巾の乱は、道教運動である「太平道」として始まりました。これは、反乱が始まる十数年前に始まったものです。張角は、彼の儀式で祝福された水を求める患者に与えることで治療することができると信じられており、回復した人々は彼と彼の教えを信じ、彼の名声は広まりました。

「大賢良師」という称号を自称した張角は、苛烈な税金、横行する腐敗、そして飢饉や洪水に対する反応として漢王朝に対して反乱を起こしました。これらは漢皇帝が天命を失った兆候と見なされました。

反乱は紀元184年頃に始まりました。黄巾は反乱の初期に多くを征服しましたが、後には鎮圧されていきます。張角は184年の反乱蜂起後に病気で亡くなりました。黄巾は指導者の死後も漢軍に対して一定の軍事力有していましたが、それでも彼らは最終的に敗北し、散り散りになりました。張角の弟、張宝は184年12月または185年1月に河北省晋州市西部の下曲陽県で皇甫嵩と郭典に率いられた帝国軍によって打ち負かされ、殺されました。一方、更にその下の弟の張梁も184年11月または12月に河北省広宗県南東部で皇甫嵩に率いられた帝国軍によって命を落としました。

黄巾の乱は、中国東部と北部で起こったものと合わせて、漢王朝を弱体化させ、その滅亡の大きな原因となりました。

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