更新日時:
|
|
史記『項王の最期・項王自刎』(於是項王乃欲東渡烏江〜)わかりやすい現代語訳・書き下し文と解説 |
|
著作名:
走るメロス
736,566 views |
このテキストでは、史記の一節『項王の最期・項王自刎』(於是項王乃欲東渡烏江〜)の原文(白文)、書き下し文、わかりやすい現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。書籍によっては『項王最期』や『四面楚歌』の中の一節と題するものもあるようです。
※「自刎」は「じふん」と読み、「自分で自分の首を切る」ことを意味します。
史記は前漢の第7代皇帝であった武帝(在位期間:前141年3月9日 - 前87年3月29日)の時代に、司馬遷(しば せん)によって編纂された歴史書です。
於是項王乃欲東渡烏江。
烏江亭長檥船待。
謂項王曰、
「江東雖小、地方千里、衆数十万人。
亦足王也。
願大王急渡。
今独臣有船。
漢軍至、無以渡。」
亦足王也。
願大王急渡。
今独臣有船。
漢軍至、無以渡。」
項王笑曰、
「天之亡我、我何渡為。
且籍与江東子弟八千人、渡江而西、今無一人還。
縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。
縦彼不言、籍独不愧於心乎。」
且籍与江東子弟八千人、渡江而西、今無一人還。
縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。
縦彼不言、籍独不愧於心乎。」
乃謂亭長曰、
「吾知公長者。
吾騎此馬五歳、所当無敵。
嘗一日行千里。
不忍殺之、以賜公。」
吾騎此馬五歳、所当無敵。
嘗一日行千里。
不忍殺之、以賜公。」
乃令騎皆下馬歩行、持短兵接戦。
独項王所殺漢軍数百人。
項王身亦被十余創。
顧見漢騎司馬呂馬童曰、
「若非吾故人乎。」
馬童面之、指王翳曰、
「此項王也。」
項王乃曰、
「吾聞『漢購我頭千金邑万戸。』
吾為若徳。」
吾為若徳。」
乃自刎而死。
是に於いて項王乃ち東して烏江を渡らんと欲す。
烏江の亭長船を檥して待つ。
項王に謂ひて曰はく、
「江東小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人あり。
亦王たるに足る。
願はくは大王急ぎ渡らんことを。
今独り臣のみ船有り。
漢軍至るも、以て渡ること無からん。」と。
亦王たるに足る。
願はくは大王急ぎ渡らんことを。
今独り臣のみ船有り。
漢軍至るも、以て渡ること無からん。」と。
項王笑ひて曰はく、
「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。
且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西せしも、今一人の還るもの無し。
縦ひ江東の父兄憐みて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見えん。
縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧ぢざらんや。」と。
且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西せしも、今一人の還るもの無し。
縦ひ江東の父兄憐みて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見えん。
縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧ぢざらんや。」と。
乃ち亭長に謂ひて曰はく、
「吾公の長者なるを知る。
吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。
嘗て一日に行くこと千里なり。
之を殺すに忍びず。
以て公に賜はん。」と。
吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。
嘗て一日に行くこと千里なり。
之を殺すに忍びず。
以て公に賜はん。」と。
乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持して接戦す。
独り項王の殺す所の漢軍数百人なり。
項王の身も亦十余創を被る。
顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、
「若は吾が故人に非ずや。」と。
馬童之に面し、王翳に指さして曰はく、
「此れ項王なり。」と。
項王乃ち曰はく、
「吾聞く、『漢我が頭を千金・邑万戸に購ふ。』と。
吾若が為に徳せん。」と。
吾若が為に徳せん。」と。
乃ち自刎して死す。
1ページ
|
前ページ
|
1/2 |
次ページ |
このテキストを評価してください。
役に立った
|
う~ん・・・
|
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。 |
|
『矛盾』テストで出題されそうな問題
>
蘇軾『春夜』書き下し文・現代語訳と解説(押韻・詩形など)
>
白居易『長恨歌』書き下し文・現代語訳と解説 その4
>
論語『巧言令色、鮮なし仁』解説・書き下し文・口語訳
>
白居易『八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九』書き下し文・現代語訳・口語訳と文法解説(律詩・押韻など)
>
デイリーランキング