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ローマ=カトリックの発展(首位権、修道会、聖像禁止令、叙任権闘争など) 受験対策問題 41 |
著作名:
レキシントン
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ローマ=カトリックの発展で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
カトリック教会の成立
・キリスト教成立以降、信徒数はローマ帝国内で拡大を続け、コンスタンティヌス帝は313年のミラノ勅令でキリスト教を公認し、ニケーア公会議を主催し、三位一体説を唱えたアタナシウス派を正統教義とした。その後、テオドシウス帝により、キリスト教はローマ帝国の国教となった。
・カトリックとは、ギリシア語で「普遍的」という意味で、正統教義のアタナシウス派に従う教会のことである。当時カトリック教会は、ローマ・アンティオキア・コンスタンティノープル・イェルサレム・アレクサンドリアという五本山(5つの有力教会)があった。
首位権をめぐる争い
・五本山は次第に首位教会の権利である首位権をめぐって争うようになるが、7世紀以降アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリアの三教会がイスラームの征服を受けて陥落すると、ローマとコンスタンティノープルの間で争われるようになった。
・ローマ教会はローマ帝国の首都に位置しており、イエスの使徒ペテロがローマで殉教したことから、首位教会として首位権を早くから主張した。ペテロは初代のローマ教皇であるとされ、ローマ教会の司教はその後継者として教皇を引き継いだ。特に、フン族の首領アッティラを説得したレオ1世は、ローマ教会の首位権を強く主張した。
・しかし、330年にコンスタンティヌス帝がコンスタンティノープルに遷都し、その後西ローマ帝国がオドアケルによって476年に滅亡すると、コンスタンティノープル教会の総主教はビザンツ(東ローマ)帝国皇帝の権威をもとに、ローマ教会の首位権を否定するようになった。
修道会の布教活動
・ローマ教会の存続に危機感を覚えた教皇グレゴリウス1世(在位590~604)は、ロンバルド族の侵攻に対抗しつつ、布教活動を推進し、アングロ=サクソン・西ゴート・ロンバルドの一部を教化した。布教活動を担ったのが修道士やその修養機関である修道院で、529年中部イタリアのモンテ=カシノ山にベネディクトゥスが開いたベネディクトゥス派修道院は、「祈り、かつ働け」という戒律をさだめ、積極的に布教を行った。
聖像崇拝論争
・同時期、ローマ教会とコンスタンティノープル教会は聖像崇拝論争をめぐっても対立していた。本来キリスト教では偶像崇拝が禁止されていたが、ローマ教会はゲルマン人への布教に聖像を用いていた。しかし、ビザンツ帝国では聖像禁止派が根強く、皇帝専制政治の障害となっていたのが聖像崇拝派の修道院勢力であったため、726年にビザンツ皇帝レオン3世は聖像禁止令を発布した。
フランク王国とローマ教会
・首位権や聖像禁止令をめぐる対立から、ローマ教会はビザンツ皇帝に代わる政治勢力を求めるようになった。当時有力となったのがトゥール=ポワティエ間の戦いでイスラーム勢力を撃退したフランク王国の宮宰カール=マルテルであった。ローマ教会もロンバルドの侵攻を受けていたため強力な保護者を求めており、751年マルテルの子ピピンがカロリング朝を開くと、これを承認した。その後ピピンはロンバルドを討ち、占領地域のラヴェンナやペンタポリスを教皇に献上した。このピピンの寄進により教皇領が成立した。こうして、権威を必要としたフランク王国カロリング朝と、後ろ盾を必要としたローマ教会の関係はより強固となっていった。
教会の権威とヒエラルキーの確立
・ローマ=カトリック教会は、西ヨーロッパ世界の封建社会の成立過程において、精神的権威を高めていった。また、国王や諸侯から土地の寄進を受け、世俗諸侯とならぶ聖界諸侯として君臨した。
・ローマ教会では、次第にローマ教皇を頂点とし、修道院長、大司教・司教・司祭からなるヒエラルキー(聖職階層制)が確立した。また、各地の信者や都市を教区教会にわけ、教会が共同体として重要な役割を果たすようになっていった。
教会の腐敗と修道院運動
・ヒエラルキーや宗教権威の確立によって、理念的に教皇が全権を握ったように見えたが、現実には教会の多くは世俗権力に支配されていた。領主が教会設立の際に自分の息のかかった聖職者を任命する私有教会制(アイゲンキルヘ)や、神聖ローマ帝国による帝国教会政策など、世俗権力による教会への介入がおこった。
・俗権の介入によって教会は世俗化していった。9世紀から10世紀にかけて、聖職売買や聖職者の結婚などが盛んに行われ、カトリック教会は腐敗していった。
・こうした腐敗に対し、初期修道院精神の再興をめざした修道院運動が起こるようになった。修道院運動の中心となったのが、910年にフランス中西部に設立されたクリュニー修道院である。これ以降、シトー修道会や托鉢修道会(私有財産を認めない修道会)のフランチェスコ修道会・ドミニコ修道会などが設立され、内部から粛清運動が進められた。また、私闘を戒める「神の平和(Pax Dei)」運動も行われた。
聖職叙任権闘争とカノッサの屈辱
・教会の刷新運動が進むにつれて、カトリック教会の権威も復活していった。11世紀から12世紀になると、修道院長や大司教などの高位聖職者を任命する権限である聖職叙任権をめぐって、ローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝(ドイツ皇帝)のあいだで叙任権闘争が起こるようになった。1075年、教皇グレゴリウス7世が教皇権の至上と俗権に対する優越を宣言すると、帝国教会政策を重要な政策としていた神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世との間に対立が生まれた。
・グレゴリウス7世は、書簡でハインリヒ4世が行っていた聖職叙任を叱責したが、これに対しハインリヒ4世はドイツの聖職者を集め教皇の廃位を決議した。この決定に対し、グレゴリウス7世がハインリヒ4世の廃位とキリスト教世界からの破門を宣言すると、ドイツの諸侯が反旗を翻し、破門を解かれなければ王位を廃すると決めた。孤立したハインリヒ4世はカノッサ城に滞在していた教皇の許しを得るため、1077年に3日間裸足のまま断食と祈りを続け、ようやく破門を解かれた。これをカノッサの屈辱といい、教皇権の優越は変わらなかった。
・カノッサの屈辱後、ドイツ国内では国王側も勢力を復活させ、叙任権闘争はその後も続いた。この闘争を終結させたのが、教皇カリストゥス2世と国王ハインリヒ5世の間で決められたヴォルムスの協約(1122)である。
・叙任権闘争が終結した後、教皇権は更に高まっていった。教皇ウルバヌス2世はグレゴリウス改革を継承し、聖地奪還のための第1回十字軍を招集した。また、その後の教皇インノケンティウス3世は、ドイツ王オットー4世・フランス王フィリップ2世・イギリス王ジョンなどを次々と破門・臣従させ、「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」という言葉を残すなど、教皇権の皇帝権に対する優位性を確立し、この時代、教皇権は絶頂期を迎えた。
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