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イスラム世界の歴史 6 マムルーク朝、イル=ハン国、ティムール帝国、オスマン帝国、ムガル帝国ほか |
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著作名:
ピアソラ
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前回は分裂の始まりから12世紀までのイスラム世界を見てきました。
13世紀のイスラム世界は、次のような地図になります。
13世紀に、エジプトやシリアを支配したイスラム王朝です。
マムルークというのは、トルコ人を中心とした軍人奴隷のことです。
奴隷といっても、多くのイスラム諸国で軍事力の中核になっていった人々だったので、次第に実力をつけていきました。
1250年、マムルークの中の司令官が、当時仕えていたアイユーブ朝を滅ぼしてマムルーク朝ができ、その後は首都カイロを中心に、紅海やインド洋という広大な商業圏を手に入れ、繁栄していきます。
この時代、アイユーブ朝やマムルーク朝の保護のもと活躍したのが、カーリミー商人というイスラム商人たちです。
彼らは、11世紀から15世紀にかけて、紅海を中心にインド洋と地中海を結ぶルートで活躍し、香辛料、絹製品、陶磁器等の貿易を独占しました。
マムルーク朝最盛期のスルタンがバイバルス(1260~1277)です。
1258年フラグ率いるモンゴル軍によりアッバース朝が滅亡すると、彼はカイロに新しいカリフを擁立して、イスラム世界の盟主になります。
一方対外的には、西方からの第6回・第7回十字軍、東方からのフラグ率いるモンゴル軍を撃退します。
しかし、15世紀に入ると、ポルトカルなど、ヨーロッパ勢力がインド洋貿易に乗り出したので、独占的な利益が失われ、次第に衰退し、1517年オスマン帝国のセリム1世によって滅ぼされます。
チンギス=ハンの孫フラグは、兄のモンケ=ハンの命令で西方への遠征を繰り返していました。
1258年バグダートを占領後アッバース朝を滅亡させると、イラン地方のタブリーズを都にイル=ハン国を建国します。
イル=ハン国は元朝と友好関係を続けますが、キプチャク=ハン国、チャガタイ=ハン国とは対立を続けます。
イル=ハン国最盛期の君主が、第7代ハンのガザン=ハンです。
1295年自らイスラム教に改宗後、これを国教にします。
この時以降、モンゴル人のイスラム化が進むんですね。
ガザン=ハンを支えたのが、イラン人名宰相ラシード=ウッディーンです。
彼は歴史家でもあり、ペルシア語で書かれた『集史』というイスラムやモンゴルに関する貴重な歴史書を遺しています。
チンギスハンの息子チャガタイが建てたモンゴル人の国です。
アルマリクが都で、中央アジアに建国されました。
イル=ハン国と対立し、14世紀にイスラム化が進みますが、最終的に東西に分裂してしまいます。
イベリア半島に残った、最後のイスラム王朝です。
首都グラナダは、イスラム文化に溢れた都でしたが、キリスト教勢力のスペインによるレコンキスタ(国土回復運動)に押され、1492年滅亡します。
1492年は、コロンブスによる新大陸発見の年でもあります。覚えておきましょう!
この王朝で重要なのが、グラナダに建造したアルハンブラ宮殿です。
(アルハンブラ宮殿)
ナスル朝が残した、壮麗なイスラム建築です。
インドにできた、デリーを首都とする5つのイスラム王朝の総称です。
インド初のイスラム王朝の奴隷王朝(1206~1290)、以降、ハルジー朝(1290~1320)、トゥグルク朝(1320~1414)、サイイド朝(1414~1451)、ロディー朝(1451~1526)と続きます。
デリー=スルタン朝でよく聞かれるのが民族系です。ロディー朝のみアフガン系で、その他4つはトルコ系です。
チャガタイ=ハン国に仕える豪族ティムールによって建国されたイスラム王朝で、分裂した西チャガタイ=ハン国を滅ぼした後、中央アジアの広大な地域を領土にします。
ティムールは征服戦争を続け、1402年アンカラの戦いでオスマン帝国のバヤジット1世を撃破するなど、対外戦争に次々と勝利します。首都サマルカンドは繁栄しますが、ティムールが明への遠征途上で死ぬと、息子たちの勢力争いが始まり衰退し、最終的にウズベク人によって滅ぼされてしまいます。
ティムール帝国では、孫のウルグ=ベク(1447~1449)の時代にサマルカンドの大天文台が完成し、他にもミニアチュール(細密画)やペルシア文学、トルコ文学などのイスラム文化が盛んになります。
13世紀、アナトリア地方にはルーム=セルジューク朝という王朝がありましたが、モンゴルの侵略で次第に弱体化していきました。この王朝に仕えていたオスマン=ベイが混乱に乗じて建国したのがオスマン帝国です。
オスマン=ベイはオスマン1世としてオスマン帝国の初代君主になります。
ビザンツ帝国やバルカン半島にも積極的に征服戦争を行い、領土を拡大していきます。
1402年アンカラの戦いでティムール帝国に敗れ、第4代スルタンバヤジット1世が捕虜となると、その後11年間スルタンがいない状況が続き、オスマン帝国は滅亡の危機に瀕します。
しかし第7代スルタンのメフメト2世の時代には再び勢力を拡大し、コンスタンティノープルを陥落させ、1453年ビザンツ帝国を滅亡させます。コンスタンティノープルはイスタンブルに改名され、オスマン帝国の首都になります。
ビザンツ帝国滅亡の1453年は、ヨーロッパの英仏百年戦争が終わった年でもあります。
第9代セリム1世の時代には、サファヴィー朝と抗争し、エジプトのマムルーク朝を滅ぼしメッカとメディナの支配権を得ます。
マムルーク朝滅亡の際、ここに亡命していたアッバース朝のカリフから権力を得て、スルタン=カリフ制を始めます。
カリフ制の権力は以下の様な変遷をたどったということです。
宗教権力 | 世俗権力 | |
正統カリフ時代 | ✕ | ◯ |
ウマイヤ・アッバース朝 | ◯ | ◯ |
アッバース朝末期 | ◯ | ✕ |
オスマン帝国 | スルタン=カリフ | スルタン=カリフ |
※研究によっては、スルタン=カリフ制はもっと後世になってからという主張もあります。
その後もオスマン帝国は繁栄を続け、1922年まで存続します。
ティムール朝衰退後、イスラム神秘主義団のサファヴィー教団が力を持ち、その教主だったイスマーイール1世が始めた王朝です。
名前の通り、シーア派が国教の王朝です。
イスマーイール1世はシーア派の中の十二イマーム派を国教にして、スルタンではなくイランの伝統的な称号の「シャー」を用いました。
サファヴィー朝の最盛期は、第5代アッバース1世の時代で、この時新しくイスファハーンという首都が作られ発展します。
その後オスマン帝国と抗争が繰り返され、最終的にアフガン人によって滅ぼされます。
ティムールの子孫のバーブルが、1526年パーニーパットの戦いでデリー=スルタン朝最後のロディー朝を滅ぼし、建国したインド史上最大のイスラム王朝です。
第3代アクバルの時代に、アグラに首都を置き、ジズヤを廃止するなど、ヒンドゥー教徒との融和政策を行います。最大の敵だったラージプート諸国と和解し、1576年までに、北インドを統一しました。
第6代のアウラングゼーブの時代になると、積極的な外征を行い、ムガル帝国の最大版図が実現します。しかし、彼は厳格なスンナ派だったことから、1679年のジズヤ復活やシーア派イスラム寺院、ヒンドゥー教寺院をことごとく破壊し、ラージプート族やシク教徒、マラータ族などの反乱を招き、その後インドは分裂していきます。
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