manapedia
更新日時:
イスラム世界の歴史 3 ウマイヤ朝とアッバース朝 アラブ帝国からイスラム帝国へ
著作名: ピアソラ
53,725 views
ALT

ウマイヤ朝の成立とイスラム教の分裂

最後の正統カリフだったアリーが暗殺されると、対立していたウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤ(在位661~680)がカリフとなり、ウマイヤ朝(661~750)を開きます。

ウマイヤ朝の初代カリフとなったムアーウィヤ以降、カリフの地位は選挙ではなく世襲となりました。

ムアーウィヤの死後、息子のヤズィード1世がカリフに即位するのですが、この時、イスラム世界の重大な事件が起こります。

正統カリフだったアリーの息子フサインがカリフの地位をめぐって、ヤズィード1世と争ったのです。

フサインの父は正統カリフのアリー、母は預言者ムハンマドの娘ファーティマ、つまり、彼はムハンマドの孫として、ハーシム家のみならずイスラム世界で尊敬を集めていた人物でした。

フサインの存在をよく思っていなかったヤズィード1世は、3000名のウマイヤ軍を送り、カルバラーの戦いでフサインを虐殺し、その一族も奴隷にします。

フサインの殉教により、アリーを支持する人々は怒り、アリーとその子孫のみを正当な後継者とするシーア派を作り、抵抗するようになります。

一方、大多数のイスラム教徒は代々のカリフを正当と認めるスンナ派(スンニー派)としてシーア派と対立し、この時以降イスラム教の分裂が始まりました。

シーア派は、アリーを支持する「派」という意味で、現在、イスラム教徒の1割を占めています。ウマイヤ朝以降、様々なイスラム王朝が成立しますが、その中でファーティマ朝ブワイフ朝サファヴィー朝の3つがシーア派の王朝です。よく聞かれるので、覚えておきましょう!


ウマイヤ朝の発展とジハード

ウマイヤ朝は、正統カリフ時代に始められたジハードを継続し、領土を急速に拡大していきます。

まず、東のゾグディアナ北西インドを征服し、西方ではベルベル人と戦い、北アフリカを獲得します。

次に、北アフリカからイベリア半島(現在のスペイン)に侵攻し、711年に西ゴート王国を滅ぼしました。

718年にはビザンツ帝国のコンスタンティノープルを攻め、732年にはピレネー山脈を超えて、フランク王国に侵攻しますが、トゥール=ポワティエ間の戦いで、当時メロヴィング朝の宮宰だったカール=マルテルに敗れ、ヨーロッパを諦めます。

トゥール=ポワティエは現在のフランスで、ウマイヤ朝は西ヨーロッパの広範囲にわたってジハードを展開したことがわかります。この戦いのあと、カール=マルテルの子ピピンがカロリング朝を創始し、その子カール大帝がゲルマン・ローマ・キリスト教の文化を融合させ、西ヨーロッパの基礎ができました。


このように、ウマイヤ朝は征服戦争の結果広大な領土を獲得し、単独のイスラム王朝として最も広い領土をもつ王朝となりました。

ALT

(ウマイヤ朝の最大領域)

また、文化の面でも、首都ダマスカスにウマイヤド=モスク、聖地エルサレムに岩のドームを建造し、イスラム建築の傑作を残しました。

ALT

(ウマイヤド=モスク)

ALT

(岩のドーム)

ウマイヤド=モスクは、キリスト教の洗礼者ヨハネの墓の上に、岩のドームはユダヤ教のエルサレム神殿跡地に建てられました。


ウマイヤ朝の滅亡 アラブ帝国からイスラム帝国への転換

急速に発展したウマイヤ朝ですが、アラブ人の特権が原因で内部から崩壊していきます。

正統カリフ時代からウマイヤ朝にかけて活躍したのが、アラブ人ムスリムでした。そのため、アラブ人は支配者層としてさまざまな特権が与えられていて、この時代をアラブ帝国といいました。

特にジズヤという人頭税と、ハラージュという地租がアラブ人は免除されていました。アラブ人は、生産物の10分の1のザカートという救貧税だけ払えばよかったのです。

ジハードの結果、征服された各地の人々はイスラム教に改宗し、マワーリー(アラブ人以外のイスラム教徒)となりました。

また、イスラム教徒に改宗しないユダヤ教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒、仏教徒なども、啓典の民として税金を納めれば宗教の自由を認められていました。この人々をジンミーといいます。

マワーリーはイスラム教徒に改宗したあとも、アラブ人でないという理由で、ジズヤとハラージュを払わなければならなかったのです。

 ジズヤ(人頭税)ハラージュ(地租)
アラブ人なしなし
マワーリーありあり
ジンミーありあり


異教徒は信仰の自由を得るために納税に応じていましたが、マワーリーたちの間では、ウマイヤ朝のアラブ人優遇政策がイスラム教が唱える「平等」という理念に反するということで、不満が高まっていきます。

このような状況が長い間続き、750年、ウマイヤ朝に対するマワーリーの不満が頂点に達し、シーア派の人々とともに革命が起こります。

この革命のリーダーだったのが、ハーシム家出身のアブー=アルアッバースです。彼はウマイヤ朝を滅ぼした後カリフに即位し、アッバース朝(750~1258)を開きました。

アッバース朝の成立とともに、アラブ人の優遇策は廃止され、マワーリーのジズヤもなくなりました。イスラム教徒が土地を持っていた場合、平等にハラージュが課せられるようになったのです。

アッバース朝は、イスラム教徒の平等を達成し、イスラム世界はそれまでのアラブ帝国からイスラム帝国へと変わっていきます。

このテキストを評価してください。
役に立った
う~ん・・・
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。






世界史