|
|
|
更新日時:
|
|
![]() |
"朱子学"-江戸初期における学問 |
著作名:
zed
57,209 views |
江戸時代の儒学
江戸時代初期にさかんだった学問は儒学と呼ばれる学問です。儒学は朱子学、陽明学、古学にわけて考えることができます。ここでは朱子学についてみてみましょう。
朱子学の登場
戦国時代は徳川家康が天下をとったことで終焉し、時代は江戸時代へと変化していくことになります。江戸幕府は、戦国時代へと戻らないように(つまり他の武将から謀反をおこされないように)、様々な方法で国の整備を行なっていきます。外様大名を江戸から遠い場所に配置したり、士農工商の身分制度を作り、安定した封建社会を作ったこともその一環です。
朱子学とは
そんな中で、武士が学ぶべき学問というものも変化しました。信仰や武力ではなく、道徳や礼儀によって社会秩序を守ろうとする朱子学が盛んになります。
主な朱子学者
日本の朱子学は藤原惺窩(ふじわらせいか)によって確立され、弟子の林羅山の手によって幕府に取り入れられるようになります。
林羅山
林羅山は、空は高く地は低いのように、万物には必ず上下があると考えました。これは人間社会においても同じで、父と子や主君と家来のように、上に来るものを敬わなければならないと説いたのです。この考え方は上下定分の理と言い、幕府の考える秩序と一致するものだったのです。
ちなみにこの林羅山ですが、方広寺証明事件の火付け役であるとも言われています。家康から4代将軍家綱の5代にわたって徳川家につかえ、江戸幕府の礎を築きました。
江戸幕府で引き継がれた朱子学の流れ
藤原惺窩、林羅山の朱子学の流れは、木下順庵(5代将軍徳川綱吉につかえる)、新井白石(6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継につかえる)、室鳩巣(8代将軍徳川吉宗につかえる)、雨森芳洲らに引き継がれ、朱子学は江戸幕府を支える学問となりました。
地方での朱子学の流れ
朱子学がさかんだったのは、江戸幕府だけではありませんでした。土佐では南村梅軒が南学(海南学派)と呼ばれる朱子学の宗派を築き、その流れが谷時中、野中兼山、山崎闇斎らに引き継がれてきました。
山崎闇斎が、神道と儒学をコラボレーションさせて垂加神道を唱えたということは覚えておきましょう。
このテキストを評価してください。
役に立った
|
う~ん・・・
|
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。 |
|
"陽明学"-江戸初期における学問
>
徳川御三家~尾張・紀州・水戸~の成り立ちと役割
>
【江戸時代の外交、慶長遣欧使節、朱印船貿易、4つの窓口】 受験日本史まとめ 39
>
【都市・交通の発展、寛永期の文化】 受験日本史まとめ 40
>
徳川家康・徳川秀忠・徳川家光がそれぞれ行った外交政策のまとめ
>
【社会の変容と打ちこわし、田沼意次の政治】 受験日本史まとめ 45
>
最近見たテキスト
"朱子学"-江戸初期における学問
10分前以内
|
>
|
日本史
- 原始・古代の社会・文化と東アジア
- 先土器時代・縄文時代
- 弥生時代・古墳時代
- 飛鳥時代・奈良時代
- 平安時代
- 中世の社会・文化と東アジア
- 鎌倉時代
- 南北朝時代・室町時代
- 近世の社会・文化と国際関係
- 戦国時代・安土桃山時代
- 江戸時代
- 近代日本の形成とアジア
- 18世紀における国際環境の変化
- 開国・明治維新
- 立憲政治・憲法制定・議会の設立
- 条約改正・日清/日露戦争
- 近代産業の発展と文化の特色
- 両世界大戦期の日本と世界
- 第一次世界大戦
- 政党政治の発展と大衆文化の形成
- 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争
- 第二次世界大戦後の日本と世界
- 占領下の日本
- 高度成長の時代
- その他
- その他