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平氏政権に反旗を翻した武将たち~治承・寿永の乱(以仁王・源頼朝・源義仲)~ |
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著作名:
早稲男
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1167年に平清盛が武士として初めて太政大臣になるなど、平氏は平安時代末期に栄華を極めていました。しかしそれを面白く思っていなかったのが、政権をとられた公家や、もともと対立していた源氏でした。ここでは、平氏が政権を担って以降、平氏に反旗を翻した戦についてまとめています。
以仁王(もちひとおう)は後白河法皇の息子です。後白河法皇が平清盛によって追放されたことを受けて平氏を討伐することを決意した以仁王は、源頼政の提案で全国の源氏に、平氏を討つようにとする命令をだします。全国の源氏はこれによって挙兵をしますが、当の本人は準備の最中に計画が平氏にもれてしまい、この試みは失敗に終わりました。
以仁王の令旨が出されてから源氏が政権をとるまでに起こった内乱のことを治承・寿永の乱と言います。
(この写真は別人のものではないかという説もあります。)
平治の乱によって伊豆に流されていた源氏の後継者源頼朝が、戦況をみて挙兵しました。しかしこのときは、石橋山の戦いで大庭景親に敗れて、鎌倉で再起を図るようになります。このときの体制がのちの鎌倉幕府の基礎となりました。
ちなみに石橋山の戦いで背走した源頼朝を追っかけていった平氏の軍勢が、次に源頼朝にアタックをしかけたのは富士川の戦いと呼ばれる戦いです。このとき平氏は、川で休んでいた水鳥の羽ばたく音を敵襲と勘違いして逃げていった様子が、吾妻鏡や平家物語には詳しく書かれています。
以仁王の令旨をうけて木曽で挙兵をしたのが、源義仲です。木曽義仲とよばれることもあります。戦に破れた源頼朝とは対照的に、北陸を制圧し(砺波山の戦い)、源頼朝よりも先に京に入ります。あまり知られていませんが、源氏で最初に征夷大将軍に任命されたのは源義仲です。
この他にも、駿河(当時の静岡)では武田信義が、下総(当時の千葉)では千葉常胤らが挙兵をし、関東における源氏の勢力が増していくことになりました。
1184年の壇ノ浦の戦いをもって治承・寿永の乱は幕を閉じることになります。(源頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた1189年までとする説もあります。)
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