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【幕藩体制の統治機構、禁中並公家諸法度、禁教と島原の乱】 受験日本史まとめ 38 |
著作名:
Cogito
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幕藩体制の統治機構
徳川幕府は、全国の諸大名を管理するため、強力な権力を有していました。特に財政面において、幕府は400万石という直轄領(幕領・天領)を有しており、これに旗本知行地の300万石を加えると全国の石高3000万石に対し、700万石という莫大な収入源がありました。この他にも、全国の金・銀山、江戸・京都・大坂・長崎・堺などの直轄都市からの献金や貿易の利益、貨幣鋳造権も持っていました。
また、幕府は強力な軍事力も有していました。将軍直轄の旗本・御家人や、諸大名が負担する軍役により、7万人近い軍勢を維持しました。平時において、旗本は大番・書院番・小姓組番に編成され、御家人は徒士組・鉄砲百人組などに組織されました。これらを番方といいます。これ以外にも、旗本は勘定奉行・町奉行・大目付・目付代官などに、御家人は与力・同心などの行政職につき、これを役方といいます。無職の旗本・御家人は小普請組に入れられました。旗本の多くは知行取で、御家人の多くは蔵米を支給されました。
初代将軍徳川家康・2代将軍徳川秀忠の時代には、三河以来の譜代門閥(大久保忠隣・酒井忠世・土井利勝ら)が年寄として重臣となり、それ以外にも、僧の天海・崇伝・儒者の林羅山・商人の茶屋四郎次郎・後藤庄三郎などが家康の側近として仕えました。3代将軍徳川家光の時代に入ると、1635年(寛永12年)前後に老中・若年寄・大目付・目付・三奉行という職制が成立しました。
幕府政治の中枢を担った年寄りが老中で、定員は4名でした。最高職の大老は井伊家などの特定の譜代大名から選ばれましたが、これは常設ではなく、重要事項の合議にのみ加わりました。この他に、老中を補佐し旗本を監督する若年寄、大名を監察する大目付、旗本を監察する目付、寺社を統制する寺社奉行、幕僚の財政を担う勘定奉行、江戸の市制を担う町奉行などがいました。こうした幕府の要職は月番制で、重要事項に関しては合議制をとりました。また、老中・三奉行・大目付らは評定所を組織し、国境い訴訟などの重要な裁判を行いました。
地方では、朝廷の統制や西国大名の監視を行う京都所司代が置かれました。京都・大坂・駿府には城代と町奉行が、その他の要地の伏見・長崎・佐渡・日光には遠国奉行が置かれました。ほかにも、重要直轄地の関東・飛騨・美濃には郡代が、他の直轄地には代官が置かれ、民政を司りました。
全国の大名は領地や領民の支配機構の藩の頂点に君臨し、はじめは地方知行制をとりました。しかし、徳川幕府により大名の転封が盛んに行われるようになると、有力武士の在地性が次第になくなっていき、大名による領内一円支配へと変わっていきました。17世紀なかばになると、各地の藩は地方知行制ではなくなり、郡奉行や代官が支配する蔵入地(直轄領)からの年貢を蔵米として支給する俸禄制度へと変わっていきました。また、大名は独自の藩法を制定し、藩の政治は幕府政治の縮小版として整備されていきました。
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