更新日時:
|
|
江戸時代における日本人の海外進出 |
|
著作名:
ひろぽん
17,348 views |
江戸時代といえば鎖国によって海外との取引が限られていたとイメージしがちですが、実は鎖国が始まる前(江戸時代の初期)は、積極的に海外に進出していく日本人が多くいました。
京都の商人であった田中勝介は、スペイン人の商人であったドン=ロドリゴを、当時スペイン領だったノビスバン(いまのメキシコ)に送り届けるために、一緒に太平洋を渡りました。ノビスバンに貿易を求めたものの失敗に終わっています。
仙台藩(宮城県)の伊達正宗は、貿易を求めて家臣であった支倉常長(はせくらつねなが)をヨーロッパに送りました。しかし彼が出港してからすぐに、日本ではキリスト教やキリスト教に関係する国との取引が禁止されてしまったために、ヨーロッパ諸国との国交を結ぶことができなくなってしまいました。
日本町とは、海外に作られた日本人が多く生活をした地域のことで、今でいう移民のさきがけです。東南アジア各国に日本人たちが日本町を作り自治をおこなっていました。中でも有名なのはタイのアユタヤというところに作られた日本町です。山田長政が街のリーダーとなった江戸時代の初期に、もっとも繁栄しました。
このような日本町はいたるところにあって幕府との貿易で栄えていましたが、江戸幕府が鎖国をはじめてからは、海外にいる日本人は帰国したら処刑するとされてしまったために、帰るに帰れなくなった人も大勢いました。
京都の商人であった田中勝介は、スペイン人の商人であったドン=ロドリゴを、当時スペイン領だったノビスバン(いまのメキシコ)に送り届けるために、一緒に太平洋を渡りました。ノビスバンに貿易を求めたものの失敗に終わっています。
仙台藩(宮城県)の伊達正宗は、貿易を求めて家臣であった支倉常長(はせくらつねなが)をヨーロッパに送りました。しかし彼が出港してからすぐに、日本ではキリスト教やキリスト教に関係する国との取引が禁止されてしまったために、ヨーロッパ諸国との国交を結ぶことができなくなってしまいました。
日本町とは、海外に作られた日本人が多く生活をした地域のことで、今でいう移民のさきがけです。東南アジア各国に日本人たちが日本町を作り自治をおこなっていました。中でも有名なのはタイのアユタヤというところに作られた日本町です。山田長政が街のリーダーとなった江戸時代の初期に、もっとも繁栄しました。
このような日本町はいたるところにあって幕府との貿易で栄えていましたが、江戸幕府が鎖国をはじめてからは、海外にいる日本人は帰国したら処刑するとされてしまったために、帰るに帰れなくなった人も大勢いました。
このテキストを評価してください。
役に立った
|
う~ん・・・
|
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。 |
|
元禄文化の学問
>
江戸時代の大名の種類(親藩・譜代・外様)
>
元禄文化に出てきた作品
>
琉球・朝鮮・蝦夷地との関係
>
元禄文化の文芸作品
>
最近見たテキスト
江戸時代における日本人の海外進出
10分前以内
|
>
|
デイリーランキング
中学社会 歴史
- 古代までの日本
- 先土器時代・縄文時代
- 弥生時代・古墳時代
- 飛鳥時代・奈良時代
- 平安時代
- 中世の日本
- 鎌倉時代
- 南北朝時代・室町時代
- 近世の日本
- 戦国時代・安土桃山時代
- 江戸時代
- 近現代の日本と世界
- 明治維新・開国
- 条約改正・日清/日露戦争
- 殖産興業・富国強兵・国民生活の変化
- 第一次世界大戦と大正デモクラシー
- 第二次世界大戦・太平洋戦争
- 占領下の日本
- 高度経済成長の時代
- その他
- その他