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アメリカ合衆国の発展 ③ ~奴隷制と南北戦争~
著作名: エンリケ航海王子
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リンカーンの当選と南北戦争

1860年に大統領選挙が行われると、黒人奴隷をどうするかという問題を焦点に争われました。
激しい選挙戦の結果、共和党から出馬したリンカーンが大統領に就任すると、南部はこの当選に反対し、リッチモンドを首都にして、ジェファソン=デヴィスを大統領にアメリカ連合国を作ってしまいます。

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(エイブラハム=リンカーン)

南北対立が高まる中、1861年南軍が北軍を攻撃すると南北戦争が始まりました。
南北戦争では、開戦当初南軍の名将リー将軍により南部の優勢が続きました。

北部はこの劣勢を打開するために、西部の支持を得る必要があったことから、ホームステッド法を制定します。この法律は、公有地で五年間農作業を行ったものに対し、160エーカーという広大な土地を無償で政府が与えるというものでした。この法律で住民の多くが開拓者だった西部の各州は北部に協力するようになりました。

また、1863年、リンカーンは奴隷解放宣言を出します。これは国内外に南北戦争における北部の正当性をアピールするため、南部の奴隷の決起を促すという目的がありました。

こうした中、次第に北部が優勢になり、グラント将軍リー将軍を追い詰め、1863年ゲティスバーグの戦いで北部が勝利し、その後1865年南部の首都リッチモンドが陥落し、南北戦争は集結します。

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(ゲティスバーグの戦い)

ゲティスバーグの戦い後、その戦場跡でリンカーンが行った演説が有名なゲティスバーグ演説です。リンカーンは戦争終結後すぐに暗殺されてしまいますが、人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)という演説の一節は、今でもアメリカの民主主義の根幹になっています。




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