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第2回十字軍とは わかりやすい世界史用語1620
著作名: ピアソラ
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第2回十字軍とは

第2回十字軍(1147年 - 1149年)は、キリスト教徒による聖地奪還を目的とした軍事遠征であり、特にエデッサの奪還を目指して組織されました。この遠征は、教皇ユダスの呼びかけに応じて、フランス王ルイ7世と神聖ローマ皇帝コンラート3世が主導しました。第2回十字軍は、前回の十字軍に続くものであり、キリスト教徒の聖地に対する関心が高まる中で行われましたが、結果的には多くの困難に直面し、期待された成果を上げることができませんでした。

背景

第2回十字軍は、1144年にエデッサがムスリムの軍勢に奪われたことを受けて始まりました。この事件は、キリスト教徒にとって大きな衝撃であり、聖地の防衛が急務とされました。教皇ユダスは、エデッサの奪還を呼びかけ、各国の王や貴族に参加を促しました。これに応じて、フランス王ルイ7世と神聖ローマ皇帝コンラート3世が軍を率いて参加することを決定しました。



遠征の準備

第2回十字軍の準備は、各国の貴族や騎士たちが参加する形で進められました。ルイ7世は、フランス国内での支持を集め、軍を編成しました。一方、コンラート3世もドイツ国内での動員を行い、彼の軍はフランス軍と合流する予定でした。両者の軍は、十字軍の伝統に従い、宗教的な目的を持って出発しました。

遠征の経路

第2回十字軍は、フランスから出発し、地中海を経由して聖地へ向かいました。ルイ7世の軍は、まずコンスタンティノープルに到着し、そこでビザンツ帝国の支援を受けることを計画しました。コンラート3世の軍も同様にコンスタンティノープルに到着しましたが、彼らの間には連携の問題がありました。

主要な戦闘

ダマスカス攻撃

第2回十字軍の主要な戦闘は、1148年に行われたダマスカス攻撃です。ルイ7世とコンラート3世は、ダマスカスを攻撃することを決定しましたが、計画は不十分でした。攻撃は初めは成功したものの、補給線の問題や内部の不和により、最終的には失敗に終わりました。この戦闘は、十字軍の士気を大きく低下させる結果となりました。

失敗の要因

第2回十字軍の失敗には、いくつかの要因が挙げられます。まず、軍の指揮系統が不明確であったことが大きな問題でした。ルイ7世とコンラート3世の間には、戦略に関する意見の相違があり、連携が取れませんでした。また、補給の問題や、現地の地理に対する理解不足も影響しました。さらに、ムスリム側の指導者サラディンの台頭も、十字軍にとって大きな脅威となりました。

第2回十字軍は、1149年に終了しましたが、その結果は惨憺たるものでした。エデッサの奪還は実現せず、ダマスカス攻撃も失敗に終わりました。この遠征は、キリスト教徒の士気を低下させ、十字軍運動全体に対する信頼を損なう結果となりました。さらに、ムスリム側は団結を強め、サラディンの指導の下で反撃を強化しました。

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