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ピラミッド状神殿とは わかりやすい世界史用語377
著作名: ピアソラ
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ピラミッド状神殿とは

マヤ文明は紀元前から存在し、中央アメリカのジャングルに壮大な石造建築を築き上げました。エジプトのピラミッドとは異なり、マヤのピラミッドは階段状の側面を持ち、頂上が平らで、神殿や儀式のための場所として利用されていました。

マヤのピラミッドは、宗教的な儀式の場であると同時に、航海の目印や高位の官僚の埋葬場所としても機能していました。特に有名なのは、グアテマラにある古代マヤ都市ティカルの遺跡です。ティカルには16基のピラミッドがあり、その中でもティカル神殿Iは、アメリカ大陸で約1000年間最も高い建造物でした。

マヤ文明のピラミッドは、その構造や彫刻によって、英雄双子や羽毛の蛇ククルカン、メソアメリカの創世神話、儀式的な犠牲などの物語を語っています。これらの物語は、ピラミッドの階段の上昇部分や壁面、内部の彫刻にマヤ文字で記されていました。



マヤ文明の中でも特に有名なのは、メキシコのユカタン半島に位置するチチェン・イッツァの遺跡です。ここにある「エル・カスティージョ」(城)と呼ばれるピラミッドは、春分と秋分の日に、天から降りてくる羽毛の蛇の神ククルカンの降臨を象徴する影を作り出します。この現象は、ピラミッドの北側の階段に投影される影によって、蛇が階段を降りてくるように見えることから、多くの観光客が訪れる有名な光景となっています。

また、マヤのピラミッドは、天文学や暦のシステムとも密接に関連しています。エル・カスティージョの各面には91段の階段があり、頂上の神殿を含めると合計365段となり、マヤの太陽暦の日数に対応しています。

マヤ文明は、農業を基盤とし、トウモロコシや豆、カボチャを栽培し、後にはキャッサバも栽培していました。彼らは石灰岩などの大量の建築石材を採掘し、より硬い石材を使用して切り出し、高度な灌漑や段々畑の技術を用いて農業を行っていました。また、象形文字の書かれた紙を作り、それを使ってコデックス(書物)を作成し、彫刻やレリーフ彫刻の美しい伝統を発展させました。

これらのピラミッドや彫刻、レリーフは、初期マヤ文明についての知識の主要な源となっています。マヤ文明はオルメカ文明の影響を受けており、特に初期のマヤ文化はオルメカ文明の影響を強く受けていました。

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