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朱元璋の儒教化2
著作名: Satow
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朱元璋は明を建国する前に呉国を建てました。それは紅巾軍からの思想的独立を示しています。つまり、呉国の建国を通して、紅巾軍的な革命説から儒教的大義名分説へと脱皮したのです。

どのようなことでしょうか。朱元璋は呉を建てると、まず紅巾軍の王とされていた韓林児(かんりんじ)を川に沈め、次に、朱元璋は即位して太祖洪武帝となると、白蓮教を弾圧して、紅巾軍との関係を完全に断ちました。明の時代に記された史料は、明初から時代を下るにつれ、洪武帝(朱元璋)と紅巾軍との関係を抹殺していきますが、これは洪武帝が儒教的立場に立ったことを示しているのです。儒教的立場を採用した洪武帝が、かつては仏教的思想を持っていたということは都合の悪いことだったのです。中国史では、新王朝が建つと、それまでの歴史的記録を自分たちに都合よく書き換えるということが頻繁にあったようです。

元朝末期に起こった動乱では、反乱軍の指揮者の多くは紅巾軍的で迷信的傾向のあった仏教思想しか持っていませんでした。このような反乱軍指導者たちの中でも、朱元璋だけが儒教的な大義名分を理解し、受け入れ、当時の知識人である官吏・郷紳(官僚経験者や進士合格者で多くは大土地所有者)・父老(集落の代表者)たちの信頼を得ることができたのです。政治を行う上で、こういった人々の助力は不可欠であったのであり、そのためにも儒教の立場に立つことが必要だったのです。



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