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蜻蛉日記原文全集「釣りするあまのうけばかり思ひみだるるに」
著作名: 古典愛好家
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蜻蛉日記

釣りするあまのうけばかり思ひみだるるに

釣りするあまのうけばかり思ひみだるるに、ののしりてもの来(き)ぬ。さなめりと思ふに、心ちまどひたちぬ。こたみはつつむことなくさし歩みて、ただ入りに入れば、わびて木丁ばかりをひきよせてはたかくるれど、何のかひなし。香もりすへ数珠ひきさげ経うちおきなどしたるを見て、

「あなおそろし、いとかくは思はずこそありつれ。いみじくけうとくてもおはしけるかな。もし出で給ひぬべくやと思ひてまうで来(き)つれど、かへりては罪うべかめり、いかに大夫、かくてのみあるをばいかが思ふ」


と問へば、

「いとくるしうはべれど、いかがは」


と、うちうつぶしてゐたれば、

「あはれ」


とうちいひて、

「さらばともかくもきんぢが心、出で給ひぬべくは車よせさせよ」


といひもはてぬにたち走りて、散りかひたるものどもただとりに、つつみ、ふくろにいるべきはいれて、車どもにみないれさせ、ひきたる軟障(ぜざう)などもはなち、立てたるものどもみしみしととりはらふに、心ちはあきれて我か人かにてあれば、人は目をくはせつついとよくゑみてまぼりゐたるべし。

「このこと、かくすれば、出でたまひぬべきにこそはあめれ。仏にことのよし申したまへ。例の作法なる」


とて、天下の散楽言(さるがうごと)をいひののしらるめれど、ゆめに物もいはれず、涙のみうけれど、念じかへしてあるに、車よせていとひさしくなりぬ。申(さる)の時ばかりにものせしを、火ともす程になりにけり。つれなくてうごかねば、

「よしよし、 我は出でなん。きんぢにまかす」


とて立ち出でぬれば、

「とくとく」


と手をとりて泣きぬばかりに言へば、いふかひもなさに出づる心ちぞ、さらに我にもあらぬ。


大門ひき出づれば乗りくははりて、道すがらうちもわらひぬべきことどもをふさにあれど、夢路か物ぞいはれぬ。このもろともなりつる人も

「くらければあへなん」


とて、おなじ車にあれば、それぞときどきいらへなどする。はるばるといたるほどに、亥の時になりにたり。京には、昼さるよし言ひたりつる人々心づかひし、塵かいはらひ、門どもあけたりければ、我にもあらずながらおりぬ。




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