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聖徳太子は教科書から消えた?「厩戸王」表記の理由をわかりやすく解説【1分でわかる日本史】 |
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著作名:
かわちゃん
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厩戸王(うまやとおう)は、「聖徳太子(しょうとくたいし)」の名で知られる飛鳥時代の王族です。現在の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」と併記する書き方が一般的になっています。この記事では、「教科書から消えた」というウワサの真相から、名前が変わった理由、実像の見直しまでを、「1分でわかる要約」と「深掘り解説」の2段構成でまとめました。
結論から言えば、聖徳太子は教科書から消えていません。「伝説」と「実像」を分けて、名前の見せ方が変わったのです。
つまり「消えた」のではなく、伝説の衣を一枚脱いで、実像に近い名前で教科書に残っている——それが現在の扱いです。
ここまでが1分の要約です。ここからは、厩戸王(聖徳太子)をもう一歩深く知りたい方向けに解説します。
厩戸王は574年、用明天皇を父、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を母として生まれました。推古天皇は父方・母方の両方で叔母にあたり、蘇我氏とも血縁の深い、王権の中心に近い生まれです。
593年に推古天皇が即位すると、政権の中枢に加わります。かつては「摂政として万機をゆだねられた」と説明されてきましたが、そもそも当時「皇太子」や「摂政」にあたる制度が成立していた可能性は低い、という指摘が複数の辞典・教科書会社に共通しています。このため現在は、推古天皇・蘇我馬子・厩戸王の3人による共同の政治とみる説明が有力です。
議論を整理するときの鍵は、「実在したか」と「事績は本人のものか」を分けることです。
実在については、教科書会社の公式見解も「厩戸王という実在の人物がいたこと、斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったことは確実」と明言しています。「聖徳太子はいなかった」という説が話題になったこともありますが、否定されているのは「実在」ではなく「伝わる事績のすべてを一人に帰すること」です。
事績については、根拠となる史料の多くが本人の死後にできたものであるため、どこまでが本人の働きかは検討が続いています。著作と伝えられる『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』も、本人の筆かどうかは研究途上です。
要約で触れた肖像画は「唐本御影(とうほんみえい)」とも呼ばれ、旧一万円札などの高額紙幣の顔として長く使われてきました。しかし、この絵を聖徳太子と結びつける当時の史料がないこと、そして描かれた人物の服装・冠・笏(しゃく)が7世紀後半に制度化されたものであることから、現在は「伝聖徳太子像」——「聖徳太子と伝えられる像」という表記になっています。神護寺の「伝源頼朝像」と同じ扱いです。
紙幣の顔として日本人が何十年も見てきたあの顔が、実は誰か分からない。教科書表記の変化を、いちばん身近に感じられる例かもしれません。
この記事は2段構成です。最初の「1分でわかる厩戸王(聖徳太子)」だけで、要点がつかめます。
さらに深掘りでは、次の3つの謎を考察していきます。
・「教科書から消えた」は本当なのか
・名前の書き方が変わった理由
・昔の一万円札のあの顔は、誰なのか
さらに深掘りでは、次の3つの謎を考察していきます。
・「教科書から消えた」は本当なのか
・名前の書き方が変わった理由
・昔の一万円札のあの顔は、誰なのか
1分でわかる厩戸王(聖徳太子)
結論から言えば、聖徳太子は教科書から消えていません。「伝説」と「実像」を分けて、名前の見せ方が変わったのです。
「聖徳」は、死後に贈られた名前
「聖徳」は本人の死後にその徳をたたえて贈られた呼び名で、生前にこの名で呼ばれた記録はありません。実名とされるのが厩戸王(うまやとおう/うまやどおう)です。そのため現在は「厩戸王(聖徳太子)」の併記が一般的になっています。
「聖徳」は本人の死後にその徳をたたえて贈られた呼び名で、生前にこの名で呼ばれた記録はありません。実名とされるのが厩戸王(うまやとおう/うまやどおう)です。そのため現在は「厩戸王(聖徳太子)」の併記が一般的になっています。
伝説と史実が混ざって伝わった
10人の話を同時に聞き分けたという「豊聡耳(とよとみみ)」の伝説に代表されるように、後世の信仰の中で超人的な物語が積み重なりました。「重要な政策をすべて一人で行った」という従来の説明も見直され、推古天皇・蘇我馬子との共同の政治だったと考えられています。
10人の話を同時に聞き分けたという「豊聡耳(とよとみみ)」の伝説に代表されるように、後世の信仰の中で超人的な物語が積み重なりました。「重要な政策をすべて一人で行った」という従来の説明も見直され、推古天皇・蘇我馬子との共同の政治だったと考えられています。
それでも、実在は確実とされる
一方で、斑鳩宮(いかるがのみや)を営むほど有力な王族「厩戸王」が実在したことは確実とされます。冠位十二階・憲法十七条・遣隋使と続く飛鳥の国づくりに関わり、法隆寺・四天王寺の建立でも知られます。
一方で、斑鳩宮(いかるがのみや)を営むほど有力な王族「厩戸王」が実在したことは確実とされます。冠位十二階・憲法十七条・遣隋使と続く飛鳥の国づくりに関わり、法隆寺・四天王寺の建立でも知られます。
つまり「消えた」のではなく、伝説の衣を一枚脱いで、実像に近い名前で教科書に残っている——それが現在の扱いです。
おまけトリビア
昔の一万円札で有名なあの肖像画も、いまは「伝聖徳太子像」と呼ばれています。描かれた年代は早くとも8世紀(本人の死後)と考えられており、あの顔が本人かどうかは、実は分かっていないんです。
昔の一万円札で有名なあの肖像画も、いまは「伝聖徳太子像」と呼ばれています。描かれた年代は早くとも8世紀(本人の死後)と考えられており、あの顔が本人かどうかは、実は分かっていないんです。
ここから深掘り
ここまでが1分の要約です。ここからは、厩戸王(聖徳太子)をもう一歩深く知りたい方向けに解説します。
■厩戸王の背景
厩戸王は574年、用明天皇を父、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を母として生まれました。推古天皇は父方・母方の両方で叔母にあたり、蘇我氏とも血縁の深い、王権の中心に近い生まれです。
593年に推古天皇が即位すると、政権の中枢に加わります。かつては「摂政として万機をゆだねられた」と説明されてきましたが、そもそも当時「皇太子」や「摂政」にあたる制度が成立していた可能性は低い、という指摘が複数の辞典・教科書会社に共通しています。このため現在は、推古天皇・蘇我馬子・厩戸王の3人による共同の政治とみる説明が有力です。
■人物と流れ
| 年 | 出来事 |
| 574年 | 用明天皇の皇子として生まれる |
| 593年 | 推古天皇の即位とともに政権中枢へ |
| 603年・604年 | 冠位十二階・憲法十七条の制定に関わる |
| 607年 | 小野妹子の遣隋使派遣。法隆寺の創建もこの頃と伝わる |
| 620年 | 蘇我馬子とともに『天皇記』『国記』を編纂と伝わる |
| 622年 | 死去。斑鳩の地に伝承が残る |
■史実と学説
議論を整理するときの鍵は、「実在したか」と「事績は本人のものか」を分けることです。
実在については、教科書会社の公式見解も「厩戸王という実在の人物がいたこと、斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったことは確実」と明言しています。「聖徳太子はいなかった」という説が話題になったこともありますが、否定されているのは「実在」ではなく「伝わる事績のすべてを一人に帰すること」です。
事績については、根拠となる史料の多くが本人の死後にできたものであるため、どこまでが本人の働きかは検討が続いています。著作と伝えられる『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』も、本人の筆かどうかは研究途上です。
享年(48歳か49歳か)や細かい日付は資料間で食い違いがあるため、この記事では「574年〜622年」の年までにとどめています。
■トリビアの真相
要約で触れた肖像画は「唐本御影(とうほんみえい)」とも呼ばれ、旧一万円札などの高額紙幣の顔として長く使われてきました。しかし、この絵を聖徳太子と結びつける当時の史料がないこと、そして描かれた人物の服装・冠・笏(しゃく)が7世紀後半に制度化されたものであることから、現在は「伝聖徳太子像」——「聖徳太子と伝えられる像」という表記になっています。神護寺の「伝源頼朝像」と同じ扱いです。
紙幣の顔として日本人が何十年も見てきたあの顔が、実は誰か分からない。教科書表記の変化を、いちばん身近に感じられる例かもしれません。
試験に出るポイント
現行の表記は「厩戸王(聖徳太子)」の併記。推古天皇・蘇我馬子との3人の政治体制、603年冠位十二階→604年憲法十七条→607年遣隋使の流れ、法隆寺・四天王寺との関わりが頻出です。
現行の表記は「厩戸王(聖徳太子)」の併記。推古天皇・蘇我馬子との3人の政治体制、603年冠位十二階→604年憲法十七条→607年遣隋使の流れ、法隆寺・四天王寺との関わりが頻出です。
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